故郷アドリアノープル(エディルネ)とブカレストのユダヤ人学校で教師を務めていたとき、東洋の諸言語と考古学の研究に没頭し、学識を蓄えた。
1868年、世界イスラエル同盟 (Alliance Israélite Universelle) によってアビシニア(エチオピア)に送られ、ファラシャ(エチオピアのユダヤ人)の生活状態を探る。この時に執筆した報告書がフランス学士院 (Académie des Inscriptions et Belles-Lettres) の注意を惹いた。1869年から1870年にかけて、フランス学士院の依頼により、紀元24年以降ヨーロッパ人として初めてイエメンを横断し、サバ語の碑文を調査して、686点にのぼる貴重な碑文を蒐集した。帰国後、これらの碑文の解読に成功し、サバの言語と神話の基礎を解明。これが彼の最大の業績となった。
1879年以降、パリの高等研究実習院 (École des Hautes Études) でエチオピア語の教授。また、アジア協会 (Société Asiatique) の司書をも務めた。