セト人
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概要
歴史
彼らの居住地区を、セト語でセトマー(Setomaa)と呼ぶ。古い時代にセトマーでこの民族集団が生まれたとされるが詳しくは分かっていない。
13世紀エストニア人はドイツの影響下の元カトリックとなりセト人はノヴゴロド公国の影響により東方正教会となった[3]。
エストニア独立宣言後セト人はエストニア化政策を受け、エストニア共和国が滅亡しソヴィエトになってもエストニア化は進められた[4]。
ソヴィエト崩壊後セトマーは分断された。分断が理由で民族意識が強まり復興運動が起こる。1994年民族団体が王国建国を宣言[5]、毎年副王、副王妃を選ぶイベントを行っている[6]。
2010年ロシア連邦によりセト人はプスコフ州の先住民と認定された[7]。
文化
参考文献
- 庄司博史「エストニアのペッツェリ領土問題」、『国立民族学博物館研究報告』22(4)(国立民族学博物館、1997)
- 小森宏美編『エストニアを知るための59章』(明石書店、2012年)