1892年7月8日にシカゴから西に40キロほど離れたオーロラで生まれた。父チャールズ・H・オバニオンは農業、ペンキ塗り、喰工など仕事を転々としていた。母のエンマは1898年に結核で死亡した。
若い頃はレストランのウエイターとして働きながらこそ泥稼業でも稼いでいた。1902年ごろにシカゴでマーケット・ストリート・ギャングという強力なギャングが存在し、その少年部であるリトル・ヘリオンズのリーダーがオバニオンだった。やがて地元のシカゴ・トリビューン紙とシカゴ・エグザミナー紙の間で発生したCirculation Wars(販売網拡張戦争。しばしは酒場や通りで銃撃戦が発生するほど激しいものであった)で両新聞社の手先となって暴れまわり、名前を売った。
その後にノースサイド・ギャングを創設し、花屋を経営しながら密造酒の製造により財を成し、シカゴのノースサイドの大部分を縄張りにしていた。いわばジョニー・トーリオのアイルランド版だった。警察の情報によるとオバニオンは少なくとも25人の商売敵の殺人をお膳立てしていた。しかし、殺人罪で裁かれることはなかった。
1921年2月5日にヴァイオラ・カニフと結婚する。オバニオンが29歳、ヴァイオラは18歳だった。
表向きはシカゴで勢力を二分していたサウスサイド・ギャング(後のシカゴ・アウトフィット)と同盟を結び、カジノの収益金を分配する等協力関係を築いていたが、裏では密造酒を奪うなど邪魔をしていた。また、多くのアイルランド系ギャングスターと同様に売春の管理を汚い商売と見ていたために手を付けることはなく、イタリア系やユダヤ系に仕事は任せておき、トーリオからの売春業から上がる収益の受け取りを拒絶した。
平素から仲が悪かったジェンナ兄弟がオバニオンの縄張りに粗悪な密造酒を流通させ、加えて共同経営するカジノの借金を棒引きにするよう依頼された際には怒りを爆発させ、ジェンナ兄弟のトラックをハイジャックして全面戦争になりかけた。その時はトーリオが仲裁に入って最悪の事態は避けられた。
1924年には密造酒の取引で年間100万ドル近い利益を上げ、他の密造酒製造業者たちが仕入れた極上品のウィスキーを大胆に次々とハイジャックして儲けを増やしていった。
1924年5月19日に警察の強制捜査が入るという情報を得たオバニオンは、トーリオと彼の部下であるアル・カポネにシーベンの醸造所を譲渡し、2人を罠に嵌めることを画策する。
そしてある日、オバニオンがトリオとカポネに商談を持ちかけてきた。この三人は共同出資で、酒の密造工場を経営していたのだが、オバニオンが「自分の持ち株全部を50万ドルで買ってくれないか」と言ってきたのである。
聞けば、ジェンナ兄弟の報復が恐ろしくなり、自分はもう酒の密造から手を引きたいと言う。二人は取引に応じ、オバニオンに50万ドル支払った。
しかし金を払って数日後、突然この工場に警察がやってきたのだ。もちろん法で酒の製造が禁止されている時代であるから、そこにいた者は全員逮捕され、工場も没収されることとなった。
カポネは強制捜査時に醸造所にいなかったので逮捕を免れたがトーリオは醸造所の所有容疑で逮捕され、懲役9ヶ月と罰金5千ドルの刑を宣告された。
カポネは「何かタイミングが良すぎる。ひょっとしてオバニオンは、この工場に警察が来ることも閉鎖に追いこまれることも知っていて、それで株を買ってくれと持ちかけてきたのではないか。」と疑い、トリオが警察の中にいる自分のスパイに調査をさせると、やはり思った通りだった。要するにオバニオンの詐欺に引っかかったのだ。
その上オバニオンは「あの馬鹿ども、まんまと引っかかりやがった。」などと、上機嫌で自慢しているという噂まで流れてきた。トリオもカポネは激怒し、ジェンナ兄弟と協力してオバニオン暗殺を計画する。
この世界でこのようなことをすれば完全に戦線布告であり。カポネとトリオから見ればすでにオバニオンは敵にまわったのである。
1924年11月、オバニオンは賭博場で、ジェンナ兄弟の一人を金の貸し借りの件でさんざんコキ降ろし、口喧嘩となった。またジェンナ兄弟と揉(も)めたのである。
最後にオバニオンは「シチリアのガキどもは全員死ね!」と捨てセリフを残していったが、人の見ている前でボロクソに言われたジェンナの方は口喧嘩だけでは収まらない。オバニオンに対してすでに殺意を持っていた。
ここに至って、オバニオンはトリオとカポネのコンビと、ジェンナ兄弟の両方を敵にまわしてしまった。
ちょうどこの時期、1924年11月8日、シカゴマフィアの初代会長・マイケル・マイクがガンで死亡した。
ジェンナ兄弟はトリオとカポネに相談し、オバニオンを始末する計画を立て始め、その結果、オバニオン暗殺計画は、彼の経営する花屋で決行することに決まった。オバニオンはギャングでありながら、全く似つかわしくない「花屋」という職業を人と共同で営(いとな)んでおり、時間のある時はオバニオン自身も店に出て働いていたのである。
トリオとカポネは偽名を使って、マイク会長のために1万8000ドルの献花(けんか)を注文した。11月10日の朝、オバニオンが、豪華な1万8000ドルの献花を作っていると、店の前に一台の車が停まった。
マフィアの連中はだいたいこの店に花を買いに来る。3人の男が車から降りて店の中に入ってきた。オバニオンが手を止めて男たちを見ると、その中に知り合いのフランキー・イェールを発見した。
オバニオンはにこやかにイエールに近寄り握手を求めた。イエールは握手に応じたが、握ったオバニオンの手をそのまま引っ張った。
前にちょっとバランスを崩したオバニオンに、残りの二人が近寄り、その瞬間二人の男はオバニオンに向かって銃を発射した。胸とノドと頭に合計6発。オバニオンは何も出来ないまま即死だった。
銃を撃った実行犯は最近シチリアから来たばかりの二人の殺し屋(トーリオがニューヨークから呼び寄せたアルバート・アンセルミ、ジョン・スカリーゼといわれている)と車を運転してきたのはジェンナ兄弟の一人である(イェールではなくマイク・ジェンナという説もある)。
そして黒幕にはトリオとカポネがいるのは明らかだった。しかしこの件では誰も逮捕されなかった。
葬儀には政治家を含む数千人が参列して彼の死を悼んだ。遺体はマウント・カーメル墓地に埋葬された。
オバニオンが暗殺されたあと、シカゴ市警のシューメーカー警部は容疑者候補のトップにトーリオとカポネの名を上げた。ニューヨークへ帰ろうとするイェールを警察は汽車に乗る直前で拘束し、ラサール署に連行した。当時警察は4年前に発生したジム・コロシモ暗殺事件と今回の事件にイェールが関わっているという疑いがあった。警察はイェールが持っていた銃について質問したが、許可証もありシカゴに来た理由もウニオーネ・シチリオーネ(シチリア人連合)の会長であるマイク・メルロの葬儀に来たという理由があり、事件当時も知り合いのレストランで食事をしていたという証拠(もちろん作り話)があると言い、釈放されニューヨークに帰っていった。
オバニオンの死後、ノースサイド・ギャングとサウスサイド・ギャングの間で血で血を洗う抗争が勃発する。
オバニオンの組織の後継者となったのはハイミー・ウェイスという男である。当然のようにトリオとカポネに復讐を企(くわだ)てていた。