ダヴィッド・ダンジェ
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アンジェの家具職人の息子に生まれた。フランス革命が始まると、父親は共和国軍の志願兵としてフランソワ・ド・シャレットが指揮する王党派の、ヴァンデの反乱の鎮圧に加わった。
アンジェで絵を教えていた画家、ドリュス(Jean-Jacques Delusse)に学んだ後、1808年にパリに出て彫刻家フィリップ=ローラン・ロランの工房に入った。凱旋門やルーブル宮殿の外装などの仕事に参加し、1810年にエコール・デ・ボザールの展覧会で2位となり、翌年のコンクール(Concours de la tête d'expression)に優勝し、イタリア留学の資格が得られるローマ賞も受賞した。

(画)フォーゲル・フォン・フォーゲルシュタイン
イタリアに留学し、ローマに5年間滞在し、イタリアの新古典主義の彫刻家、アントニオ・カノーヴァをしばしば訪ね、ヴェネツィアやナポリ、フィレンツェも旅した。
イタリアからフランスに戻った時、ナポレオンは失脚して、フランス復古王政の時代になっていた。ジャック=ルイ・ダヴィッドもベルギーへ亡命しており、パリでは活動がしにくくなったダヴィッド・ダンジェはロンドンに移り、イギリスの新古典派の彫刻家、ジョン・フラクスマン(John Flaxman)の援助を受けた。イギリスの顧客から、ワーテルローの戦いの記念碑のための作品を求められ、愛国心を傷つけられたダヴィッド・ダンジェは1816年にはフランスに戻った。
フランスで精力的に働き、多くの人物像、胸像やレリーフを製作した。1828年にはヴァイマルを旅し、1834年にはミュンヘンやシュトゥットガルト、ベルリンなどを訪れ、ゲーテやシェリングの像を製作した。