シャルマネセル1世の息子として生まれた。父の拡大路線を受け継ぎ、即位するとすぐに各地へ遠征を行った。ザグロス山脈方面、ウラルトゥ方面への遠征を成功させ資源ルートを確保した。これは取り分け銅と馬を確保することに意味があった。
紀元前1235年頃(年代については諸説あり)、バビロニア(カッシート朝)との国境紛争でカシュティリアシュ4世(英語版)は条約をやぶってアッシリア領に侵攻した。トゥクルティ・ニヌルタ1世は軍を率いてカシュティリアシュ4世を破り、バビロンまで追撃してカシュティリアシュ4世を捕縛し、バビロニアを征服した。この時アッシリアは膨大な戦利品を獲得している。更にバビロニアの同盟国であり、かねてより緊張が続いていたヒッタイトとも戦端が開かれ、彼は西進してユーフラテス川を越え、ヒッタイト領に侵攻した。ヒッタイト王トゥドハリヤ4世との戦いでこれを破り北シリアへも領土を拡大した。
こうして中アッシリア王国時代を代表する征服王として君臨したトゥクルティ・ニヌルタ1世であったが、治世末期にはそもそも内部対立が激化していたらしく、紀元前1208年頃、息子達にカール・トゥクルティ・ニヌルタを包囲され、そのさなか暗殺されて死去した。さらに彼が殺された後、息子達のうちの一人アッシュール・ナディン・アプリが王位を得たがアッシリアは深刻な政治混乱に陥り、短命王が続き、アダド・シュマ・ウツル(英語版)がバビロンを奪還してその支配権も失われるなどアッシリアの領土は大きく失われることとなる。