トーマス・H・インス
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
インスは、ハリウッドで初めてメジャーのスタジオ施設を作ったことと、映画製作の工程にライン生産方式を導入したことによって、映画産業に革命を起こした。ロサンゼルスのパシフィック・パリセーズに「インスヴィル(Inceville)」と呼ばれる自身のスタジオを持った。さらに映画におけるプロデューサーの役割を大きくした。早川雪洲を発掘したことでも知られる。
脚本を書いた『The Italian』(1915年)、プロデュースを務めた『Hell's Hinges』(1915年)、監督を務めた『シヴィリゼーション』(1916年)の3本はアメリカ国立フィルム登録簿に保存されている。後にD・W・グリフィス、マック・セネットとトライアングル・フィルム・コーポレーションに参加した。
トライアングルから離れた後、トライアングルのスタジオのあった場所(現在そこはソニー・ピクチャーズ・スタジオになっている)から1マイル離れたところに新スタジオを建設した(現在のカルバー・スタジオ)[2] [3]。
主な作品
- 二挺拳銃
- シヴィリゼーション
- 呪の焔
- ツェッペリン最後の侵入
ポピュラーカルチャーにおいて
大富豪ウィリアム・ランドルフ・ハースト主催の豪華船上パーティの最中に、心臓発作で急死した。これを、ハーストに殺されたにもかかわらずその事実が隠蔽された、との噂が立てられた。この噂に基づいた映画『ブロンドと柩の謎』(2001年)が作られている[4]。
日本語訳のある伝記など
- ハリウッド・バビロン(ケネス・アンガー著、明石三世訳、2011年、パルコ出版、ISBN 978-4891948818)
- 〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る(マック・セネット著、石野たき子訳/新野敏也監訳、2014年、作品社 ISBN 4861824729)