トーマス・ウィリング
アメリカの商人・銀行家・政治家
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トーマス・ウィリング(Thomas Willing、1731年12月19日 - 1821年1月19日)は、アメリカの商人・銀行家・政治家である。フィラデルフィア市長、大陸会議のペンシルベニア植民地代表、北アメリカ銀行初代頭取、第一合衆国銀行初代頭取などを務めた[1]。
| トーマス・ウィリング | |
|---|---|
| Thomas Willing | |
| 第一合衆国銀行頭取 | |
| 任期 1791年10月25日 – 1807年11月10日 | |
| 大統領 | ジョージ・ワシントン ジョン・アダムズ トーマス・ジェファーソン |
| 前任者 | (新設) |
| 後任者 | デビッド・レノックス |
| 北アメリカ銀行頭取 | |
| 任期 1782年1月7日 – 1791年3月19日 | |
| 大統領 | ジョージ・ワシントン |
| 前任者 | (新設) |
| 後任者 | ジョン・ニクソン |
| フィラデルフィア市長 | |
| 任期 1763年10月4日 – 1764年10月2日 | |
| 前任者 | ヘンリー・ハリソン |
| 後任者 | トーマス・ローレンス |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1731年12月19日 |
| 死没 | 1821年1月19日(89歳没) |
| 墓地 | フィラデルフィア キリスト教会墓地 |
| 配偶者 | Anne McCall (結婚 1763年、her death 1781年) |
| 子供 | 13人(アン、メアリーほか) |
| 親族 | チャールズ・ウィリング (父) ジェームズ・ウィリング (弟) メアリー・ウィリング・バード (妹) エリザベス・ウィリング・パウエル (妹) エドワード・シッペン (曾祖父) |
| 教育 | インナー・テンプル |
若年期
キャリア
1749年、イギリス留学からフィラデルフィアに戻り、ロバート・モリスと組んで商売を始めた[4][5]。1757年にウィリング・モリス・カンパニーを設立した。同社は、小麦粉、木材、タバコなどをヨーロッパに輸出し、西インド諸島やアフリカから砂糖、ラム酒、糖蜜、奴隷などを輸入した[6]。モリスとのパートナーシップは1793年まで続いた[4]。
1768年、復活したアメリカ哲学協会の会員に選ばれた[7]。
政治家
1755年に市議会(コモン・カウンシル)の議員、1759年に市裁判所の裁判官(alderman)となり、1759年10月2日には市裁判所の準判事、1761年2月28日に民事訴訟裁判所判事となった。1763年にフィラデルフィア市長となった。1767年、ペンシルベニア植民地議会は、トーマス・ペン総督の同意を得て、植民地最高裁判事(常に弁護士)が、地方の治安判事(郡裁判所の裁判官だが一般人)と一緒にナイサイ・プライアス(第一審)の法廷を構成することを認めた。ペン総督は、ジョン・ローレンスとトーマス・ウィリングを新たに最高裁判事に任命した。ウィリングは1767年まで務めたが、これが植民地政府の下での最後となった[8]:52[4]。
1774年に通信連絡委員会委員、1775年には安全委員会委員となり、大陸会議のペンシルベニア植民地代表も務めた。1775年と1776年には独立宣言に反対票を投じ[9]、独立宣言への署名もしていないが、その後、アメリカ革命のために5千ポンドを寄付した[4]。
銀行家
独立戦争後、1782年から1791年まで北アメリカ銀行初代頭取、1791年から1807年まで第一合衆国銀行初代頭取を務めた
私生活


1763年、サミュエル・マッコール(1721-1762)とアン・サール(1724-1757)の娘であるアン・マッコール(Anne McCall, 1745-1781)と結婚した。2人の間には、以下を含む13人の子供が生まれた[4]。
- アン・ウィリング (Anne Willing, 1764–1801) - ウィリアム・ビンガム(1752–1804)と結婚[11]
- トーマス・メーン・ウィリング (Thomas Mayne Willing, 1767–1822) - ジェーン・ニクソン(1775–1823)と結婚[4]
- エリザベス・ウィリング (Elizabeth Willing, 1768–1858) - ウィリアム・ジャクソン(1759–1828)と結婚[4]
- メアリー・ウィリング (Mary Willing, 1770–1852) - ヘンリー・クライマー(1767–1830)と結婚[4]
- ドロシー・ウィリング (Dorothy Willing, 1772–1842) - いとこのトーマス・ウィリング・フランシスと結婚[4]
- ジョージ・ウィリング (George Willing, 1774–1827) - レベッカ・ハリソン・ブラックウェル(1782–1852)と結婚[4]
- リチャード・ウィリング (Richard Willing, 1775–1858) - エリザ・ムーア(1786–1823)と結婚[4]
- アビゲイル・ウィリング (Abigail Willing, 1777–1841) - リチャード・ピーターズ(1780–1848)と結婚[4]
ウィリングは1821年にフィラデルフィアで亡くなった。遺体はフィラデルフィアのキリスト教会墓地に埋葬された[12]。
子孫
ウィリングは、ロードアイランド州知事や合衆国上院議員を務めたジョン・ブラウン・フランシス(1791-1864)の大叔父にあたる[13][14]。
アンの娘のアン・ルイーザ・ビンガム(1783-1849)は、1798年にアシュバートン男爵アレクサンダー・ベアリングと結婚した[15]。その妹のマリア・マチルダ・ビンガム(1783–1849)は、フランスの貴族のティリー伯爵ジャックス・アレクサンドル(Jacques Alexandre, Comte de Tilly)と一時的に結婚した後、姉の義理の兄弟であるヘンリー・ベアリング(1777-1848)と結婚したが1824年に離婚した。その弟のウィリアム・ビンガム(1800-1852)は、1822年にマリー=シャルロット・シャルティエ・ド・ロットビニエール(1805-1866)と結婚した。彼女はジョン・マンローの娘メアリーとミッシェル=ユースタッシュ=ガスパール=アラン・シャルティエ・ド・ロットビニエールの間の娘である[4]。