ニコライ・コルンドルフ
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| ニコライ・コルンドルフ Nikolai Korndorf | |
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ニコライ・コルンドルフ(1990年3月3日モスクワにて撮影) | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Nikolai Sergeevich Korndorf |
| 生誕 | 1947年1月23日 |
| 出身地 |
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| 死没 |
2001年5月30日(54歳没) |
| ジャンル | クラシック音楽、オペラ |
| 職業 | 作曲家、指揮者 |
ニコライ・コルンドルフ (Nikolai Korndorf、本名:ニコライ・セルギェーイェヴィチ・コルンドルフ、ロシア語: Николáй Сергéевич Корндóрф、1947年1月23日 - 2001年5月30日)は、旧ソ連の作曲家、指揮者。1991年よりカナダに移住して最晩年を過ごした。
1965年より1970年までモスクワ音楽院でセルゲイ・バラサニアンに作曲法を師事。この期間に1幕オペラ《…についての物語(ロシア語: Сказание про...)》(セミヨン・キルサノフ原作)を作曲し、大学院課程在籍中の1973年には、アレクサンドル・プーシキンの原作により歌劇《黒死病の時代の饗宴》を作曲した。1967年から1979年までレオ・ギンズブルクに指揮法を師事するかたわら、1972年から1991年までモスクワ音楽院で作曲法と管弦楽法の教師を務めた。1973年にソ連作曲家同盟に入会し、その後は同同盟のモスクワ支部最高会議幹部会の理事となった。ソ連現代音楽協会(ACM)が再興されるにあたって、共同設立者に名を連ね、会長代理に就任している。
初期作品では伝統的なアカデミックな手法に留まっていたが、後に無調によるポスト表現主義的な様式を採用するに至った。さらに、一種のミニマリズム的な反復の美学に転向し、例えばコントラバスと12の木管楽器のための《告白(Confessiones)》(1979年)や、ピアノとテープのための大作《焼けた(Жарило)》(1981年)のような作品を手懸けた。この方向は、より大規模な作品でも繰り広げられ、3つの《賛歌》(1987年~1990年)や《交響曲 第3番》《交響曲 第4番》のほか、マリーナ・ツヴェターエワとライナー・マリア・リルケの往復書簡に基づく歌劇《MR~マリナとライナー》がその好例である。
1991年にロシアを去ってカナダのヴァンクーヴァーに行くと、電子音響メディアを試みるようになる。カナダ音楽センターの朋友作曲家ならびにカナダ作曲家連盟の会友にもなった。歿年までブリティッシュコロンビア大学で作曲法を指導した。
ロシア人指揮者のアレクサンドル・ラザレフは、コルンドルフ作品の擁護者であり、そのほとんどを上演し、録音した。