ノク文化
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発見及び研究史

1928年に、イギリスの鉱山技師のJ. Dent Youngによって、錫露天掘り鉱山とその周辺に広がる河川礫層の採掘作業中にサルの頭の横顔の形をした土偶の破片が偶然発見されたことが契機となった。1943年に、ナイジェリア地理学調査局(Geological Survey of Nigeria)の報告が、イギリス人考古学者バーナード=ファッグ(Bernard Fagg)にもたらされて以降、これらの土偶の観察や収集を行ってひとつの文化的伝統を構成すると考えたファッグは、鉱山の近くにあったカドルナ州ノク村の名前にちなんでこれをノク文化と名づけた。1960年代におけるサムン・ドゥキヤ(Sumun Dukiya)でのアンジェラ・ファッグ(Angela Fagg)による発掘調査、1963年のロベール・ソーパー(Robert Soper)によるKatsina Alaの発掘調査及びバーナード・ファッグのタルガでの調査でテラコッタの土偶とともに土器片が発見されている。
年代
土偶
ノク文化の土偶の種類は人物の頭部、全身像、象、蛇、サルなどの動物や家畜などがあるが完全なものはなく、おそらく呪術的な儀礼の際に破壊されたと考えられている。図像的特徴は、逆三角形ないしは半円形に沈線で縁取られた大きな目で円形の穴を開けて瞳にしている。人物像については、その風貌はネグロイドで髪型もいろいろな種類が見られる。また斧を担いだ人物像や、ビーズやペンダント、ブレスレッド、なかには、耳や唇にまでアクセサリー類をつけた人物像まであり、当時の風俗を知るうえで貴重な資料となっている。
ノク文化の土器
ノク文化の公共建造物
ノク文化の集落遺跡は、山頂のような場所で確認されることが多く、土器片や土偶の破片が散布している。そのような遺跡では遺物とともに地表面のあちらこちらに長さ数百m以上に及ぶ石材を用いた構築物がみられる。特に周壁の残骸のようなものがみられることがある。集落を防御するための囲壁と考えられ、石材には花崗岩が用いられている。特に印象的な好例としてKochina遺跡が挙げられる。集落の中央部分にも巨石の石板が壁状に建てられていることがある。このような遺構はノク文化において大規模な協同作業が行われていたことを示している。
溶鉱炉
影響
また、1998年サザビー社のアフリカ、オセアニア、アメリカ先住民美術部長でマリの土偶研究の第一人者として知られるBernard De Grunneは、これまで、ナイジェリアのイフェ文化へ継承されるとされてきた、ノクのテラコッタについて、中南部アフリカのバンツー文化の彫刻に与えた影響についてまで論じる研究を行っている。
参考文献
- Fagg,Bernard 1977
- Nok Teracottas,Ethnographica for the National Museum,Lagos
- Rupp,Nicole,James Ameje and Peter Breunig 2005
- New Studies on the Nok Culture of Central Nigeria,Journal of African Archaeology Vo1.3(2),pp.283-290
- フィリップソン/河合信和訳『アフリカ考古学』学生社,1987年(原著;Phillipson,D.W.1985African Archaeology,Cambridge University Press)

