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ノート:東京奠都

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本項目は、中立な記述と言えるのか

項目名への疑問を含め、大久保利通支持者による一方的な記述が多く、大幅な見直しが必要であろう。

奠都および遷都の語義について

  • 「奠都と遷都はほぼ同義である」なる主旨の編集が行われておりますが、「奠(テン)」とは据えること(香奠=香を据えること)、「遷(セン)」は移動させること(遷移)であり語義が異なります。奠都とほぼ同義の語をあえて挙げれば「建都」であり、平安遷都の場合は旧都の廃止を語義に含んでおり、平安奠都の場合は平安京の都を新たに据えることを表記しており旧都の廃止については語義に含まないという関係になります。「遷都」と「奠都」の『表現の違い』を説明する節ですので正確に記述しておくのが適切です。--大和屋敷(会話) 2019年1月24日 (木) 08:36 (UTC)
    • 申し訳ないですが全く理解できないですね。ここでハッキリさせたいのは、歴史上「遷都」とされている(せんとくん等)平城京の記念祭をなぜ「奠都」としているかということです。--拓也藤田(会話) 2019年1月25日 (金) 15:36 (UTC)
  • それはご自身で研究して頂き、信頼できる情報源から公表頂きますようお願いいたします。上記については佐々木克『東京「遷都」の政治過程』に記述があります(奠都 とは,首都をある地に定める,という意味で,都の移動ではないのである)。--大和屋敷(会話) 2019年1月25日 (金) 20:14 (UTC)
  • いつまでも納得なさらずリバートを続けることはおやめください。--大和屋敷(会話) 2019年1月27日 (日) 07:43 (UTC)
    • 記事の私物化はおやめください。--拓也藤田(会話) 2019年1月27日 (日) 16:37 (UTC)
  • いつまでも納得なさらずリバートを続けることはおやめください。繰り返しになりますが佐々木克『東京「遷都」の政治過程』に(奠都 とは,首都をある地に定める,という意味で,都の移動ではないのである)とありますのでこの記述を改変するのは不適切であり、また拓也藤田氏の編集は「間違い」です。記事の私物化はおやめください。--大和屋敷(会話) 2019年1月27日 (日) 18:25 (UTC)

大坂城火災

  • 大坂城の火災について加筆がありましたので、いちおう修正しておきました。この火災が奠都論にどう影響したのか信頼できる情報源を持ち合わせておりませんので了解できかねますが、いちおう事実は事実ですので掲載で良いかと判断しました。なお幕末の江戸も1863年の大火や1868年の二の丸火災などで罹災しており(むろん京都はどんどん焼けで罹災)、「大坂には皇居が見つけられないから」江戸になったという論には無理があると思います(新築すれば良いのだから)。--大和屋敷(会話) 2025年3月1日 (土) 01:28 (UTC)

京都・大阪が荒廃したから江戸に奠都となった

標記「京都・大阪が荒廃したから江戸に奠都となった」という仮説について、①岡部精一『東京奠都の真相』②岸上操編集『奠都三十年』から、この仮説を裏付けるような文言が発見できるか調査したところ、いずれも発見できませんでした。一方で大隈重信は、幕末期、志士の間では京都からの遷都にはよほどの保守派を除き反対する者はなかったと証言しており、ある種の既定路線であったことを示唆しています。大久保の建議についても、大久保が唐突に言い出したのではなく、誰に言わせたら容易に事が進むか詮議した末に大久保を説得して代表して建議させたとあります(岸上『奠都三十年』P.98)。いずれにせよ京都とは別に新たに都を定めるのは既定路線で、「京都がどんどん焼けで被害を受けて宮城の体をなさなくなったから」だの、大坂城が壊滅したから大阪が避けられた(むしろ時機的には大阪城の壊滅を知り得た直後に大久保による大阪行幸の建白が上げられている)というのは現在の史料調査では裏付けにくいので、慎重な編集をお願いいたします。--大和屋敷(会話) 2026年7月1日 (水) 09:53 (UTC)

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