Wikiwand AI

バラハヌ

From Wikipedia, the free encyclopedia

バラハヌ(アゼルバイジャン語: Balaxanı)は、アゼルバイジャンの首都バクー内サブンチュ地区(ロシア語版)に位置する町。

概要 バラハヌ Balaxanı, 国 ...
バラハヌ

Balaxanı
町
バラハヌの位置(アゼルバイジャン内)
バラハヌ
バラハヌ
北緯40度27分42秒 東経49度55分12秒
国 アゼルバイジャンの旗 アゼルバイジャン
市 バクー
地区 サブンチュ地区(ロシア語版)
人口
(2015年初め)[1]
 • 合計 14,100人
等時帯 UTC+4 (AZT)
 • 夏時間 UTC+5
郵便番号
AZ1038
テンプレートを表示
閉じる

歴史

バラハヌの噴出油井(1887年)
帝政ロシア時代のバラハヌ駅

町名は、ムスリム・タート語で「高い」を意味する "bala" と「家」を意味する "xane" に由来し、アブシェロンにキャラバンサライが置かれていたことを示す[2]。1427年には、この地にシルヴァン(アゼルバイジャン語版)の宰相イブラヒム1世(アゼルバイジャン語版)の息子シャキル=アガの霊廟が置かれた[3]。1538年からバラハヌはサファヴィー朝の支配を受けるようになり、対ロシア貿易の拠点として栄えた。1623年にはキャラバンサライが置かれ、18世紀には駐ペルシャ・ロシア大使によって要塞が築かれた[3]。

バラハヌにおける石油生産の歴史は中世にまで遡り、油井の中には1594年に掘られたものもあることが分かっている[4]。油井の数は、1735年には52か所[5]、1816年には77か所[4]、1825年には82か所と増加した[6]。1813年のバラハヌの油井は、セリムハノフ兄弟が所有する2か所を除いたすべてが、バクーのグセイン=ハーンの所有であった。しかし、1825年にはすべてが徴税人マルク・タルモフの手に渡り[4]、次いで1863年にはヌハの絹商人イヴァン・ミルゾエフに渡った[7]。

1837年には、鉱山技師のニコライ・ヴォスコボイニコフ (ru) がバラハヌに製油所を設立し、天然ガスによる加熱式製油が初めて導入された[8] 。1871年には、ロシア帝国で2番目の機械式油井(64メートル)が掘削された[7]。1873年4月1日には最初の噴出油井が発見された。1878年にはノーベル兄弟社(ロシア語版)により、ロシア最初の石油パイプライン (ru) が敷設された[9]。

1982年からは、バラハヌは製機工場の建設地としても利用されている[10]。

人口

バラハヌの人口は、1816年には792人[4]、1830年には992人[11]、1842年には1219人[12]、1897年には約3000人[13]、1912年には6578人[14]、1968年には1万1300人と変遷している[15]。

今日のバラハヌは、アブシェロン半島で唯一タート人がコミュニティを形成し、さらにタート語も保持している場所として重要である[16]。ロシア革命以前には、カフカース最大のバハイ教徒コミュニティの存在した場所でもあった[17]。19世紀末から20世紀初頭にかけて出版されたブロックハウス・エフロン百科事典によれば、バラハヌの2276人の人口は皆シーア派のアゼルバイジャン人であるとされている[18]。

文化

1898年にアレクサンドル・ミション(ロシア語版)が撮影したドキュメンタリー映画『バラハヌの石油噴出(ロシア語版)』は、アゼルバイジャン史上最初の映画とされ、パリ万国博覧会でも上映され多くの反響を呼んだ[19]。また、バラハヌはセルゲイ・エセーニンの1925年の詩「さらば、バクー!」«Прощай, Баку!» と「5月1日」«1 мая»[20] にも登場する。ミハイル・シヴァチェフは1926年に、帝政期のバクーの労働者を描いた革命小説『バラハヌ』を書いた[21]。

脚注

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks