バート・ヒンクラー(Bert Hinkler)として知られる、ハーバート・ジョン・ルイス・ヒンクラー(Herbert John Louis Hinkler、1892年12月8日 – 1933年1月7日)はオーストラリアの航空のパイオニアで、イギリスからオーストラリアまでの初の単独飛行を行い、南大西洋の単独横断飛行をおこなった。 "Australian Lone Eagle"と呼ばれた。
クィーンズランド州のバンダバーグに生まれた。若いときから2機のグライダーを組み立て、海岸で飛行した。バンダバーグで、オーストリアの航空のパイオニアのアーサー・ストーン(ARTHUR B. STONE、別名 A.B "Wizard" Stone)に会い、メカニックとなった。1913年にイギリスに渡り、ソッピース・アビエーションで働くようになった。
1931年にはデ・ハビランド プス・モスでカナダを出発し、ニューヨークまで飛び、ニューヨークから無着陸でジャマイカまでの2,400kmを飛び、ジャマイカ、ヴェネズエラ、ガイアナ、ブラジルを経て、悪天候の中、アフリカまでの南大西洋単独無着陸横断飛行を行ない、アフリカからロンドンに戻った。大西洋の単独横断飛行としては、リンドバーグに次ぐ飛行であった。この飛行で、シーグレーブ・トロフィーを受賞し、ジョンストン記念賞(Johnston memorial prize)、ブリタニア・トロフィーを受賞した。
1933年1月7日、当時のオーストリアまでの飛行時間記録8日間と10時間を更新するために、プスモスでイギリスを出発し、イタリアのトスカーナの山地に衝突して、死亡した。ムッソリーニによって英雄として葬儀が行われ、Aretino Aero Clubによって記念碑がPasso Della Vaccheに造られた。