1886年に兄が死に、翌年、母親が没し、1890年に父親が没したので多くの遺産を相続し、航空に関与して暮らすことが可能になった。1891年6月9日、イギリス気球乗りのグリフィス・ブリューワーの気球で最初の飛行を行った。1892年にパーシヴァル・スペンサーに気球、Queen of the West号を製作させ1892年に何度か飛行を行った。1893年には、28,000m3の気球Majestic号を作らせ、これはそれまで最大の気球であり12人を乗せることができた。ベルリンで自らの気球で、気象学者のアルトゥル・ベルソンとラインハルト・シューリンクとともに学術目的の飛行を3度行った。ドイツ航空振興協会を支援した。1890年代には飛行船の開発に着手し、1900年には、フェルディナント・フォン・ツェッペリンの最初の飛行船の飛行に参加した。1900年9月27日には、気球の長時間飛行記録に挑戦するが、18時間後に木に引っかかり飛行は終了した。この気球はBerlin-Tegelの観測所に譲られ、プロシア号と命名されて、1901年7月31日、ベルソンとシューリンクによって高度10,800mの高度記録を作った。この記録は開放式のゴンドラの気球の記録として現在も破られていない。