初期のタイトルはアシスタントだった堀江しのぶの名前も含めた「ヒロミツ・しのぶのスーパードラゴンズ」だったが、堀江の降板を機に上記タイトルに変更。レギュラー解説者の権藤博は、1987年の近鉄バファローズのコーチ就任に伴い降板。引退直後の藤波行雄が後継のレギュラーとなり、最終回まで出演し続けた。
番組にてスタジオ観覧者を募集し、来場者にはサインボール、デジタル時計、オリジナルステッカーなどの記念品が贈呈されていた。記念品は異なるが、初期の『ドラゴンズHOTスタジオ』もほぼ同じ形式をとっていた。
1988年、放送中の鈴木が「こんなことなら、星野ドラゴンズって名前を変えればいいんですよ」と星野仙一監督を批判したことにより降板し、番組自体も終了。だが、この年にドラゴンズがリーグ優勝した際の同局による特番において、後継番組『ドラゴンズHOTスタジオ』の司会者・江藤博利とともに出演している。