おそらくは、パリから遠くないサン・マルセルの出身だが、幼少期についての詳細はほとんど分かっていない。1506年にはフランス宮廷の聖歌隊員であり、1517年にはサヴォイア家ルイーズのお抱え歌手だった。その頃より1539年までフランス宮廷のあらゆる史料からサンドランの名を見出すことはできないが、他の文書によると、その頃には俳優として活動していたらしい。1539年までに再びフランス宮廷に戻り、今度は宮廷礼拝堂の歌手として雇われた。それから数年のうちに、セルミジと並んで、フランスにおいて最も名だたるシャンソン作家の一人として名声を博した。
1550年代初頭には時おりイタリアに赴き、1554年にはシエーナにおいて、フェラーラ公エステ家の宮廷楽長に就任した。1560年にパリに戻るが、おそらくほんの束の間のことであり、翌1561年には、今度はローマに渡った。この頃より記録からサンドランの名が消えており、おそらく1561年かその直後に、どうやらイタリアで他界したのであろう。