ピエール=ジュール・ジョリヴェ
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パリに生まれた。初め建築をジャック=マリー・ユーヴェ(Jacques-Marie Huvé)やオーギュスト・ファマン(Auguste Famin)に学ぶが、20代後半になった1822年になって、画家の道に転じた。パリのエコール・デ・ボザールでフランソワ=ルイ・デジュアンヌ(François-Louis Dejuinne)やアントワーヌ=ジャン・グロ(Antoine-Jean Gros)に学んだ。同じ頃、ドイツ人のアロイス・ゼネフェルダーによって開発されたリトグラフ(石版画)の技術も学んだ。
リトグラフの技術を習得したことで、1826年にスペイン王フェルナンド7世の宮廷に招かれ、マドリードの宮殿の美術品の目録を出版するための図版を描く仕事をし、18枚の図版を制作した。版画の仕事が終わった後もしばらくスペインに留まり、その後パリに戻った。
パリでは、歴史画や風俗画を描き、スペインで見た情景を多く描くようになった。1831年から、サロン・ド・パリへの出展を始めた。1830年代の後半になって国王ルイ・フィリップの注文で、フランス歴史博物館のために歴史画の大作を制作し、第1回十字軍の指導者のゴドフロワ・ド・ブイヨンの事績や1794年のホーフレーデの戦いを題材に描き、フランス革命のトゥルコアンの戦いを描いた版画も制作した。
パリの教会のための宗教画も描いた。
弟子にはギュスターヴ・ブーランジェやウジェーヌ・フラマン=ドゥロルメル(Eugène Froment-Delormel)がいる。