ベルリンにスタジオを開き、画家として働き始め1932年にVilla Massimo Prizeを受賞し、ローマでの奨学金を得て、1932年10月にローマに移った。アドルフ・ヒトラーが1933年にドイツで権力を握ったため、ヌスバウムはドイツに戻って活動することはできなくなった。ローマからスイス、フランスを経由してベルギーのオーステンデで観光ビザで滞在した。フェリカ・プラテックと再会し、1937年9月に2人はオステンドを離れてブリュッセルに移り、10月に結婚した。ベルギー人彫刻家と友達になり、展覧会に出展し、1938年にパリで開かれた「自由ドイツ展(Freie Deutsche Kunst)」にも参加した。第二次世界大戦が始まると、ベルギーの市民権のないドイツ人として、南フランスのサン=シプリアンの収容所に収容された。フランス降伏の後、脱出しブリュッセルに逃れ、4年間ブリュッセルに潜伏していたが、1944年6月20日にドイツ軍に逮捕され、7月31日にアウシュヴィッツ強制収容所に送られヌスバウムとプラテックは、8月2日にガス室で殺害された。