フィチェレッリの生涯については17世紀末から18世紀の初めに出版されたフィレンツェの画家の伝記集の著者フィリッポ・バルディヌッチ(1625-1696)の著作によっているが、詳しい年代などは明らかになっていない。
サン・ジミニャーノで生まれ、子供時代にフィレンツェに移り、トスカーナ大公フェルディナンド1世・デ・メディチの息子の枢機卿のカルロ・デ・メディチに仕えていたOttavio Bardi di Vernioという人物の支援を受けた。フィレンツェで人気があった画家のヤコポ・ダ・エンポリ(Jacopo da Empoli: 1551-1640)の工房で学んだ。
1629年にフィレンツェの美術アカデミー(Accademia dell'Arte del Disegno di Firenze)の会員になり、1652年にはアカデミーの役員(console)を務めた。1632年にパトロンが亡くなったが遺言により毎年家族ために作品を描くことによって一族の支援を受け続けることができた。のんびりとした性格から「Felice Riposo(Riposoは休息中のような意味)」の仇名で呼ばれた。
1660年にフィレンツェで没した。