フランクフルト講和条約
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内容
国境問題への影響
軍事面
ドイツ軍はアルザス防衛のためにヴォージュ山脈とメス地方の間に防衛線を構築した。ドイツ軍は今後フランスと戦う時があれば、この防衛戦を非常に重要であると見なしていた[1]。
政治面
ドイツがアルザス=ロレーヌを領有できなかった場合、バーデン大公国やバイエルン王国などの南ドイツ諸邦がフランス(フランス領アルザス=ロレーヌ)と接することになる。バーデン・バイエルン両邦は当然、国境となってフランスの復讐を一身に受けることを歓迎しなかった。
また国境防衛のため、南部諸邦の領内へプロイセン王国主導の新生ドイツ帝国軍が駐留することが予想された。ドイツ統一後もドイツ諸邦は自治権を維持していたが、ドイツ帝国軍が駐留すると保っていた自治を脅かされる可能性があり、南部諸邦の反発が予想された。アルザス=ロレーヌの併合によってこうした事態はなくなり、統一ドイツの国内問題が軽減された。
民族面
領土の分割は完全にではないものの、概ねロマンス諸語とゲルマン語派の境界線に沿って決定された。アルザス語が(少なくともフランス語よりは)ドイツ語と近い関係にあったため、ベルリンのドイツ政府はアルザス併合を「ドイツ民族」の統合というスローガンで正当化しようとした。
経済面
アルザス地方から産出される豊かな鉱物資源(鉄鉱石・石炭)は、ドイツにとってそれほど重要ではなかった[2]。アルザスの軍事的併合はプロイセンによるドイツ統一の大義名分である「ドイツ民族の統合」が一番の目的であった。
しかし、対照的にフランスはアルザスの喪失で人口を約160万人近く失い、鉄鉱石産出量の20%を喪失した。
影響
資料
- Hawthorne, Richard (Jan, 1950). "The Franco-German Boundary of 1871", World Politics, pp. 209-250.
- Eckhardt, C.C. (May, 1918). "The Alsace-Lorraine Question", The Scientific Monthly, Vol. 6, No. 5, pp. 431-443.
