フランク・ハリス
From Wikipedia, the free encyclopedia
フランク・ハリスは、1856年2月14日にアイルランドのゴールウェイで生まれた。12歳のとき、ウェールズのデンビグシャーにある Ruabon Grammar School へ下宿生として送り出されたことをハリスは『わが生と愛』で回顧している。この学校での生活を嫌い、ハリスは1年で学校を逃げ出した。
1869年末、ハリスは米国へ移住し、カンザス大学で学んだ。1878年、フローレンス・ルース・アダムスと結婚したものの、その妻を翌年亡くしてしまう。1882年、イングランドに帰国後『Evening News』、『隔週評論』、『Saturday Review』などロンドンの新聞各紙の編集者として一般に名前を知られるようになる。『Saturday Review』では、H・G・ウエルズやジョージ・バーナード・ショーが定期寄稿者として活躍したころであり、ハリスも編集者として最高潮の時代であった。
第一次世界大戦中にニューヨークへ移り、1916年から1922年には雑誌『ピアソン』米国版の編集者となる。1921年4月、ハリスはアメリカ市民となった。1922年にはベルリンに旅し、ハリスの作品として最もよく知られる自伝、『わが生と愛』 (1922 - 1927、全四巻) を発行。この作品は、ハリスの肉欲にまみれたさまざまな出会いを生々しく描写し、その上ハリス自身の冒険的人生と活躍を誇張したものとして悪名高いものであった。ハリスの死後、長い年月がたってから第五巻が発行された。ハリスが残したメモなどを元にしたと思われるが、出所は疑わしい。
ハリスは他に著作として短編集や小説、シェークスピアに関する二冊の本『人間シェークスピア(The Man Shakespeare)』、五巻にわたる "Contemporary Portraits" と題する伝記集、それに友人でもあった オスカー・ワイルド とジョージ・バーナード・ショーの伝記を残した。劇作家にも挑戦したがさほど成功せず、舞台で披露されたのはオスカー・ワイルド原案の "Mr. and Mrs. Daventry" (1900年)のみであった。