フランシス・グリーンウェイ
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- 1777年、ブリストル近郊の石工や建築家の家族に生まれる。兄弟で建築設計事務所を主宰していたが、ナポレオン戦争での不況により、倒産回避のため契約書改ざんを図る。
- 1812年、文書偽造のために逮捕、死刑宣告をうけるが、その後オーストラリア・ニューサウスウェールズ植民地への懲役14年流刑に処される。
- 1814年、シドニー着後、執行猶予により、建築家としての仕事を再開。
- 1815年、ハーバー・ブリッジ案を提案、公共事業へ参画しはじめる。
- 1816年、時の総督ラックラン・マッコーリーから、公共事業担当の建設副監督官に任命される。
- 1818年、サウス・ヘッド灯台を手がけ、この功績で仮赦免を受ける。
- 1819年、囚人宿舎の設計により特赦を受け、自由の身となる。
- 1822年、報酬等でマッコーリーとの見解の相違をうけ、イギリス政府から通達によって職を解かれる。植民地での職人に対する技術向上を目的に、到達度別に呼応した支払手法の導入を主張していたとされる
- 1837年、ハンター・ヴァリーの自宅で死去
