フリードリヒ・ハインリヒ・ヒンメル
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ヒンメルはプロイセンのブランデンブルク州、トロイエンブリーツェンに生まれた。音楽に転向するまでハレで神学を学んでいた。
ポツダムでの一時滞在中、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世に独学したピアノの腕前を披露する機会に恵まれた。王は直ちに1年分の手当の支給を決定し、ヒンメルが音楽の修業を完了できるようにした。イタリア楽派に属するドイツの作曲家であるヨハン・ゴットリープ・ナウマンの下で学んだヒンメルは、師の楽派の様式を用いてオペラ・セリアを作曲した。
そうしたオペラの第1作が田園オペラ『Il primo navigatore』であり、1794年にヴェネツィアで初演されて大きな成功を収めた。1792年にベルリンに赴くと同市で上演されたオラトリオ『Isaaco』をきっかけとしてプロイセン王の宮廷カペルマイスターに任命され、その立場でカンタータや戴冠テ・デウムなどの多数の公的音楽を作曲した。
ストックホルム、サンクトペテルブルク、ベルリンのために書かれたイタリアオペラはいずれも、当時は熱狂と共に迎えられた。これらに増して重要なのが『Fanchon』と呼ばれるアウグスト・フォン・コッツェブーの詞に作曲されたジングシュピールである。また、ヒンメル持ち前の純粋で簡素な旋律は『An Alexis send ich dich』などのリートにも現れている。
ヒンメルはベルリンに没した。