ブラジュ・クラリエヴィッチ From Wikipedia, the free encyclopedia ブラジュ・クラリェヴィッチ(1947年9月19日 - 1992年8月9日)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に活動していたクロアチア防衛軍(HOS)の司令官であった。 西ヘルツェゴヴィナ県のリュブシュキ(Ljubuški)の村リジツェ出身。冷戦中の1961年にオーストラリアに移住した。1967年、ウスタシャ民兵の元将校であったスレチコ・ローヴァーに誘われ親ウスタシャ派の分離テロ組織クロアチア革命同胞団(HRB)に入る。その後1990年にユーゴスラビアに戻りクロアチア独立闘争を支援した。 1992年に勃発したボスニア紛争の最中、クラリェヴィッチはHOSをボスニア・ヘルツェゴヴィナにおけるクロアチア人の兵力の中心に据えた。また、クロアチア防衛評議会(HVO)などほかのクロアチア人勢力とは異なり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナを分割し民族浄化によるクロアチア人の領域を作ることに反対しボシュニャク人との同盟を目指していたが、クロアチア大統領のフラニョ・トゥジマンと彼の率いるクロアチア民主同盟(HDZ)と対立する。 また、ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国の大統領であったマテ・ボバンとスルプスカ共和国大統領ラドヴァン・カラジッチによるグラーツ協定を非難した。ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国大統領アリヤ・イゼトベゴヴィッチによりボスニア・ヘルツェゴビナ共和国軍(ARBiH)の参謀を務めていたが1992年8月9日、トレビニェ近郊においてスルプスカ共和国軍(VRS)との戦闘後ムラデン・ナレティリッチ率いるHVO兵士らによって暗殺された。 クラリエヴィッチの死からわずか二か月後、クロアチア人とボスニャク人の関係は完全に破綻しクロアチア・ボスニア戦争へと発展した。 脚注 Related Articles