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海賊盤

違法に転載された作品 From Wikipedia, the free encyclopedia

海賊盤(かいぞくばん、英: bootleg recording)とは、アーティスト本人またはその他の正当な権利者による公式な許諾を得ずにリリースされた音源・映像の記録物を指す。ブートレ(ッ)グ、ブート、ブート盤(版)、盗賊盤(版)、パイレーツ・エディション (pirated edition) とも呼ばれる。

ファンの間で対価を伴わずにコピー・交換される場合もあれば、原盤に高品質な音響処理やパッケージングを施した上で営利目的で販売される場合もある。海賊盤の多くは、未発表のスタジオ録音、ライブ演奏、インタビュー音源などから構成され、公式リリースのような品質管理を経ていない[要出典]。

定義

「ブートレグ」という語は、禁酒法時代のアメリカで、密造酒を長靴(ブーツ)の脚部に隠して密輸していた慣習に由来し、後年、あらゆる違法・非合法な製品全般を指す語として定着した[要出典]。

海賊盤は、既に公式リリースされている作品をパッケージごと精巧に模倣して販売する「偽造品(英:counterfeit)」とは区別される。海賊盤の典型的な消費者は、当該アーティストの公式リリースを既にほぼ全て所有した上で、それでもなお未発表音源やライブ音源を求める熱心なファン層であるとされる[要出典]。

音源の出所によって、主に以下のように分類される。

  • オーディエンス録音 - 観客が録音機材をひそかに会場に持ち込んで収録したもの。
  • サウンドボード録音 - 会場のPA卓から直接引き出された、比較的高音質な音源。
  • スタジオ音源・デモ - レコーディングスタジオやレコード会社から流出した未発表曲・デモ・没テイク。

歴史

1960年代以前

海賊盤という概念自体は、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲が非公式な写本の形で出版されていた時代にまで遡れるとする論者もいる[要出典]。ロック以前では、映画音源の海賊盤も存在し、ジュディ・ガーランドがベティ・ハットンに交代する前に録音していた『アニーよ銃をとれ』のサウンドトラックなどが知られている[要出典]。

1960年代:ロック海賊盤の誕生

ボブ・ディランが1966年のオートバイ事故後に公の場から姿を消していた時期、未発表曲への需要が高まったことを背景に、1969年、関係者から入手したリールテープをもとに制作された『グレート・ホワイト・ワンダー グレート・ホワイト・ワンダー(英語版)』が、ロック史上最初の商業的海賊盤として知られている。無地の白いジャケットにゴム印でタイトルを刻印したこの作品の正確な流通枚数は資料によって大きく異なり、明確な記録は残っていない[要出典]。

1969年のローリング・ストーンズのアメリカツアーを録音した『Live'r Than You'll Ever Be(英語版)』は、ローリング・ストーン誌で好意的なレビューを受けるほどの高音質を誇り、その人気がバンド側による正規ライブ盤『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』の急遽リリースを促したとされる[要出典]。

1970年代以降:産業化とメディアの変遷

1970年代には、レッド・ツェッペリンをはじめとするスタジアム・ロックのアーティストを中心に海賊盤製作が産業化し、TMOQ(英語版)などの専門レーベルが多数登場した。1980年代にはカセットテープが普及し、ファン同士が営利を介さずに音源を交換する「テープ・トレーディング」文化が広がった。1980年代末には『Ultra Rare Trax』シリーズがCDへのデジタルリマスタリングにより公式盤に匹敵する音質を実現し、1990年代以降はMP3やNapster等を通じたデジタル流通が主流となった[要出典]。

アーティスト・レーベルの対応

海賊盤の流通に対し、アーティスト側が需要を公式に吸収する形で対応した事例が多く見られる。

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ミュージシャン 対策
ポール・マッカートニー ウイングスのライブ音源が海賊盤として出回ったことを受け、当初単発シングルとして計画されていた音源を3枚組の公式ライブ盤『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』(1976年)として発売した[要出典]。
フランク・ザッパ 自身の海賊盤を選んで内容と装丁を再現し、公式ボックスセット『Beat the Boots!』(1991年)、『Beat the Boots! II』(1992年)として発売した[要出典]。
キング・クリムゾン ロバート・フリップが主宰するレーベル、Discipline Global Mobile(DGM)が、1998年より「King Crimson Collectors' Club」としてアーカイブ音源を会員制で直接販売する仕組みを構築した[1]。
グレイトフル・デッド、パール・ジャム、フィッシュ 営利を伴わない限り、観客によるライブ演奏の録音(テーピング)を公式に容認・推奨する方針を取った[要出典]。
ジミー・ペイジ 1982年のアウトテイク集『コーダ』は、当時出回っていた海賊盤の多さを踏まえ、未発表のスタジオ音源をまとめて公式にリリースする目的で制作されたと本人が説明している[2]。
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日本における海賊盤

1990年代の日本では、東京都新宿区西新宿(小滝橋通り周辺)に、高音質な洋楽のコレクターズCD(事実上の海賊盤)を扱う専門店が多数集積し、国内外の熱心な音楽ファンの間で知られる存在となっていた。

来日した海外ミュージシャン自身が日本国内のブート専門店を訪れたと語った例も存在する。レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは、2015年の音楽誌『Louder』のインタビューで、自身のリマスター盤制作のリサーチのため日本のブート店を何軒も訪れたことがあり、リイシュー盤発売後に再訪した際には店員の反応が以前ほど歓迎的ではなかったと語っている[3]。デフ・レパードのジョー・エリオットも、2023年の来日公演の際に日本国内のブート専門店を訪れる様子が、バンドの公式動画および音楽ニュースサイト『BraveWords』で紹介されている[4]。

日本の音楽ファンの間でも、来日した海外ミュージシャンがレコード店を訪れる例が語り継がれている。元メジャーリーガーでレッド・ツェッペリンの熱心なファンとして知られるランディ・ジョンソンは、来日中に浜松のレコード専門店「音楽萬屋Kent」を複数回訪れ、レア盤を購入したことが同店の公式サイトで紹介されている[5]。

法的規制の状況

多くの国や地域で、海賊盤の製作・販売は著作権法上の違法行為として処罰の対象となる。日本では法的な取り締まりは可能であるものの、国内アーティストの新作の編集盤を除けば、実際に摘発・処罰された例は多くない。

アメリカ合衆国では、1994年のウルグアイ・ラウンド協定実施法により、海賊盤の販売・製作を禁じる連邦法(合衆国法典第17編第1101条)が制定された。この規定の合憲性は係争となったが、2007年、アメリカ合衆国第二巡回区控訴裁判所は当該法律が議会の権限の範囲内にあると判断した[要出典]。

日本国内では、購入者自身は違法とはならないとされるが[6]、民事上の損害賠償請求の対象となる可能性がある。また輸入時に税関で発見された場合、関税法第69条の11第2項により没収・廃棄の対象となる。

関連項目

脚注

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