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ベルリン空襲

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ベルリン空襲(ベルリンくうしゅう)は、第二次世界大戦中に連合国ドイツに対して行った空襲である。

空襲や砲撃で廃墟になった帝国議事堂(1945年)
荒廃したベルリン(1945年6月3日)

概要

第二次世界大戦開戦後ドイツ本土に対する空襲はほとんど皆無だったが、バトル・オブ・ブリテンドイツ空軍ロンドンを誤爆すると報復としてベルリンが空襲され以降ロンドンベルリンへの報復爆撃合戦となっていった。

戦争初期はドイツ空軍が優れた防空戦術でイギリス空軍を迎撃していたが、1943年以降はイギリス空軍が夜間爆撃を、アメリカ陸軍航空軍が昼間爆撃を行いB-17B-24などの強力な爆撃機を大量に投入し東部戦線の消耗もあって徐々にドイツ空軍の勢いは衰退していった。

1944年ノルマンディー上陸作戦以降は、さらに爆撃が激化しドイツ国内が廃墟となった。

1945年には空襲は日常的なものになった。ベルリンの戦いの頃にはソ連軍の砲撃も加わり市民に多数の死者が出た。

年表

[1]

1939年

1940年

1941年

1943年

  • 3月27日 - イギリス空軍によるベルリン大規模爆撃。投弾量900トン。
  • 8月23日夜 - イギリス空軍がベルリンを中心にドイツ北部の都市に対して大規模爆撃。投弾量1500トン-2000トン[2]
  • 11月18日夜 - イギリス空軍約400機の編隊によるベルリン大規模爆撃。87回目の空襲[3]
  • 11月22日夜から26日夜 - 22日夜の空襲では、2,000人が死亡、17万5,000人が家を失った[4]。この空襲で、カイザー・ヴィルヘルム記念教会も破壊された。5日間にわたる連続爆撃(実質的な爆撃は22日、23日、26日)の激しい空爆で、ベルリンの姿が一変した。満州国公使館、在ドイツ日本国大使館、日本陸軍武官官邸、朝日新聞ベルリン支局などが破壊もしくは炎上[5]

脚注

関連項目

外部リンク

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