ハートフォードシャーのHoddesdonに庭師の息子に生まれた。14歳から父親に教えられて庭師の仕事を始めた。17歳から6年間、他の庭園で働くためにHoddesdonの庭園をはなれ、Chestnutの園芸商、Adam Paul & Sonなどでも働いた。その後父親のもとで、果実・野菜の管理の責任者となり、ランの収集家として知られる庭園の主人に認められて、ランの育成を任せられた。すぐにその手腕は評判となり、ロンドンのランの展覧会で優勝し成功したランの育成家となった。
1856年から1861年の間、Robert Parkerのもとで働いた後、パラダイス園芸(Paradise Nurseries)で働くようになり、世界各国のランの展示会に出品し多くの賞を受賞した。
ジョン・リンドリーの勧めで1851年に初めて著作をはじめ、植物雑誌、『ガーディナーズ・クロニクル』にランの栽培に関する連載記事を執筆した。『ラン育成者マニュアル』(Orchid Grower's Manual)などを出版し人気を集め、1882年からもと雇い主のロバート・ワーナーと月刊の絵入り雑誌、『オーキッド・アルバム』(Orchid Album)を出版した。イギリスにランのブームが広い層に広がるのに貢献した。