ベントズ・オールド・フォート国立史跡

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ベントズ・オールド・フォート国立史跡 (Bent's Old Fort National Historic Site) は、アメリカ合衆国コロラド州オテロ郡北緯38度2分34秒 西経103度25分45秒に位置する国定史跡である。ラ・ハンタの町の近くにあり、面積は799エーカー(3.23 km²) で、1960年6月3日に史跡として創立された。訪問者は2005年で27,760人。国立公園局の管轄。

直近都市ラ・ハンタ
座標北緯38度02分35秒 西経103度25分44秒
面積799 エーカー (3.23 km2)
概要 所在地, 直近都市 ...
ベントズ・オールド・フォート
ベント砦跡
ベントズ・オールド・フォート国立史跡の位置(コロラド州内)
ベントズ・オールド・フォート国立史跡
所在地コロラド州オテロ郡
直近都市ラ・ハンタ
座標北緯38度02分35秒 西経103度25分44秒
面積799 エーカー (3.23 km2)
建設1833年
建築家チャールズ・ベントウィリアム・ベント
訪問者数23,952 (2007年)
NRHP登録番号66000254
指定・解除日
NRHP指定日October 15, 1966 [1]
NHL指定日1960年6月3日
NHS指定日1960年12月29日 [2]
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概要

チャールズウィリアムのベント兄弟は、セラン・セント・ブラインとともに、当時メキシコ領だったニューメキシコの首都サンタフェで、入植白人を相手に日用雑貨の交易所を営んでいた。ベント兄弟はインディアンに通じており、コマンチ族の襲撃からシャイアン族を救ったことがあって、特にシャイアン族とは仲が良かった。

1833年、ベント兄弟は、周辺の平原インディアンバッファローの毛皮で作った衣類で白人と交易したがっていることを聞きつけ、この場所に日干し煉瓦で造った「ベント砦」を建設した。この日干し煉瓦の砦は、ベント=セント・ブライン社の本社として急速に拡大しつつあった「サンタフェ道」での交易拠点になった。北はセント・ブライン砦、南はアドビ砦までを含み、タオスとサンタフェにあるメキシコの支店を擁していた。砦ははシャイアン族アラパホー族ユテ族アパッチ族コマンチ族インディアンや、罠猟師との毛皮の交易で栄えた。

その16年の歴史のほとんどの間、砦は、ミズーリ州とメキシコの入植地の間のサンタフェ・トレイル で、唯一の入植者の交易拠点だった。砦はこの広大な沙漠の中で、探険家や冒険家たち、米軍に、必需品、馬車や物品の修理、家畜、おいしい食事、水と仲間、休憩と安全を供した。

1846年に米墨戦争が起こると、砦はスティーブン・W・カーニー大佐の「西部軍(Army of the West)」によって接収され、米軍の司令本部となった。以後、1849年にカリフォルニアでゴールド・ラッシュが起こると、同地は金鉱狙いの白人の通過点となり、バッファローが面白半分に虐殺され、交易資源は瞬く間に枯渇した。怒り狂ったインディアンたちは白人と戦いを始め、チャールズ・ベントは「タオスの反乱」でタオス・プエブロインディアンに殺された。またシャイアン族の妻を持つウィリアムは、米軍とインディアンの板挟みとなり、砦の売却を米軍に持ちかけたが、米軍ははした金を提示し、これに抗議したベントを逆に「不法占拠者」扱いして侮辱した。

1849年夏、ウィリアム・ベントは砦を放棄して火を放ち、爆破した。

この砦のあるエリアは、1960年6月3日国定史跡に、後に同年の12月19日には国定歴史建造物に指定された。考古学の発掘とオリジナルのスケッチ、絵と日記が、1976年の砦の再建築に使われた。

参照

外部リンク

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