ペーター・ベルリング
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俳優としての特徴
旧西ドイツ時代の1950年代の末から晩年の2010年代までの間に映画出演し、ヴェルナー・ヘルツォークやライナー・ヴェルナー・ファスビンダーと言ったニュー・ジャーマン・シネマの旗手の監督作品への出演で知られる。脇役が主な領分で、時には怪しげな人物や悪役も演じた。
1970年代からはマカロニ・ウェスタン等のイタリア映画や合作映画にも進出し、1980年代以降には低予算のマカロニ物(疑似米国映画)に出演する傍ら、フランスのジャン=ジャック・アノー監督の『薔薇の名前』(1986年)、米国のマーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』(1988年)と『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)、イタリアのリリアーナ・カヴァーニ監督の『フランチェスコ』(1989年)等、巨匠監督の作品にも脇役ないし端役ながらも起用された。
1998年にはマカロニ・ウエスタンの情熱を回顧するドキュメンタリー映画『アメリカ・イン・ローマ』(未ソフト化)が製作された。彼が住むローマのマンションへ『新・荒野の用心棒』(1968年)で知られる俳優のグリエルモ・スポレティーニが訪問する場面に姿を見せた。
ヴェルナー・ヘルツォーク作品に出演
ヴェルナー・ヘルツォーク監督とは『アギーレ/神の怒り』(1972年)、『フィツカラルド』(1982年)、『コブラ・ヴェルデ』(1987年)で組み、いずれも脇役だったが、上記3作品ともクラウス・キンスキーが主演である。
プロデューサーとしての活動
1960年代の初頭から製作や製作総指揮を務める様になった。スペインのアンダルシア州で撮影された西部劇『ホワイティー』(1971年/未ソフト化)で製作総指揮を務めてからは、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督と組む様になった。
イタリアとの合作映画である犯罪アクション物で、セルジオ・ソリーマ監督の代表作でもある『非情の標的』(1973年)には端役出演の傍らライン・プロデューサーをクレジット無しで担当したとインターネット・ムービー・データベースにある。
脚本家とスタッフとしての活動
脚本家としては1960年代の初頭から活動開始し、自国映画以外にもマカロニ・ウエスタン『西部の三銃士』(1973年/未ソフト化)やフェルナンド・ディ・レオ監督の『ザ・シシリアン/復讐の挽歌』(1976年/未/ビデオ/テレビ放映)等のイタリア映画も数本手掛けた。
助監督としてはエドワード・ドミトリク監督の『嘆きの天使』(1959年)があり、第二助監督としてだった。また、製作管理(プロダクション・マネージャー)を担当したこともある。
リチャード・フライシャー監督、カーク・ダグラス主演のハリウッド大作『ヴァイキング』(1958年)ではドイツ語版の翻訳を務めた。なお、ドイツ語版のナレーションはクルト・ユルゲンスだった。