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ボルハ・バレロ

スペインのサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

ボルハ・バレロ・イグレシアスBorja Valero Iglesias, 1985年1月12日 - )は、スペインマドリード出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元スペイン代表

本名 ボルハ・バレロ・イグレシアス
Borja Valero Iglesias
愛称 Il sindaco (イタリア語で、「市長」)
ラテン文字 Borja Valero
概要 ボルハ・バレロ, 名前 ...
ボルハ・バレロ
2017年のバレロ
名前
本名 ボルハ・バレロ・イグレシアス
Borja Valero Iglesias
愛称 Il sindaco (イタリア語で、「市長」)
ラテン文字 Borja Valero
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1985-01-12) 1985年1月12日(41歳)
出身地 マドリード
身長 175cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF (CH)
利き足 右足
ユース
1995-2004 スペインの旗 レアル・マドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2005 スペインの旗 レアル・マドリードC 0 (0)
2005-2007 スペインの旗 レアル・マドリードB 76 (4)
2007-2008 スペインの旗 マジョルカ 34 (0)
2008-2011 イングランドの旗 WBA 31 (0)
2009-2010 スペインの旗 マジョルカ (loan) 33 (5)
2010-2011 スペインの旗 ビジャレアル (loan) 35 (3)
2011-2012 スペインの旗 ビジャレアル 36 (5)
2012-2017 イタリアの旗 フィオレンティーナ 165 (11)
2017-2020 イタリアの旗 インテル 82 (4)
2020-2021 イタリアの旗 フィオレンティーナ 20 (0)
2021-2022 イタリアの旗 CSリボウスキ 4 (0)
通算 517 (39)
代表歴
2002-2003  スペイン U-17 15 (3)
2003  スペイン U-18 3 (1)
2004  スペイン U-19 4 (2)
2011 スペインの旗 スペイン 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
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経歴

クラブ

R・マドリード下部組織時代

レアル・マドリードの下部組織出身で、2006年10月25日のコパ・デル・レイエシハ・バロンピエ戦でハビ・ガルシアとの途中交代でトップチームデビューした。2006年12月6日にはUEFAチャンピオンズリーグのアウェーでのディナモ・キエフ戦にミゲル・アンヘル・ニエトとの交代で出場した[1]。しかし、2005年からの2年間はレアル・マドリードBでのセグンダ・ディビシオン(2部)の出場がほとんどだった。

RCDマジョルカ

2007年8月、5年契約でRCDマジョルカに移籍した[2]。2008年3月9日、7-1と大勝したレクレアティーボ・ウェルバ戦で初得点した。4月5日、古巣のレアル・マドリード相手に得点を決めて1-1の引き分けに持ち込んだ。5月11日、カンプ・ノウでのFCバルセロナ戦では2点を先行されながらバレーロの得点で反撃に転じ、最終的に3-2のスコアで逆転勝利を飾った[3]

WBA

2008年8月22日、FLチャンピオンシップ(2部)の優勝チームでプレミアリーグ(1部)に昇格したばかりのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCに4年契約で移籍した。RCDマジョルカとは親善試合で対戦したばかりで、700万ユーロ(470万ポンド)の移籍金はウェスト・ブロムウィッチのクラブ史上最高額だった。フットボールリーグカップハートリプール・ユナイテッドFC戦でデビューした。主にトップ下として30試合に出場したが得点はなく、チームは20位で1シーズンでのFLチャンピオンシップ降格が決まった。

RCDマジョルカへのレンタル復帰

2009年夏の移籍期間が閉まる直前に古巣のRCDマジョルカにレンタル移籍した。RCDマジョルカはフアン・アランゴホセ・マヌエル・フラドなどを放出しており、攻撃的ミッドフィールダーを探していた。RCDマジョルカではプレースキックを担当し、2010年4月19日のCAオサスナ戦などでアシストを記録し、自身も5得点を決めたが、そのうち3得点は0-1の劣勢から1-1の引き分けに持ち込む同点ゴールである。3月27日のFCバルセロナ戦では正面からのフリーキックをポストに当て、得点はならなかった。リーグ戦33試合・コパ・デル・レイ5試合に出場し、クラブのリーグ5位に貢献した。活躍が認められ、このシーズンのスペイン人最優秀選手に選ばれた。400万ユーロを支払えば完全移籍で買い取れる契約であったが、財政難のRCDマジョルカはその金額を支払えず、シーズン終了後にWBAに戻った。5月16日、FCバルセロナジョゼップ・グアルディオラ監督がバレーロ獲得を希望していると報道された[4]。2010-11シーズンはビジャレアルCFへ移籍。同クラブでは2シーズンで71試合出場、8得点をあげ中心選手として活躍した。2012年にクラブが降格することを受け移籍することになった。

フィオレンティーナ

2012年8月3日、フィオレンティーナに700万ユーロの移籍金で移籍[5]。移籍初年度からレギュラーとして活躍し、ヴィンチェンツォ・モンテッラ監督の元でアルベルト・アクイラーニダビド・ピサーロと組む3センターハーフはイタリアのスポーツ紙ガゼッタ・デロ・スポルト等に「セリエA最高の中盤」と評され[6]、このシーズンのフィオレンティーナのポゼッションサッカーを支えた。出場試合数はリーグ戦37試合とチーム内で1位、11アシストを記録[7]、セリエA全体としてもフィールドプレイヤーでは最も多くの時間出場した選手の1人であった。

2014年7月15日には2019年までの契約延長が公式に発表された[8]。2015-16シーズンにはセリエAでの出場試合数が100試合に達し、バレロ自身にとってフィオレンティーナが最も多くリーグ戦に出場した所属クラブとなった。

インテル・ミラノ

2017年7月10日、インテルナツィオナーレ・ミラノに移籍した[9]

フィオレンティーナ復帰

2020年9月15日、フィオレンティーナと1年契約を結んだ[10]

CSリボウスキ加入

2021年6月30日、現役引退を表明し、プロサッカー選手としてのキャリアを終えた[11]

ところが、プロモツィオーネ(イタリア6部)を戦うフィレンツェのアマチュアクラブであるチェントロ・ストリコ・リボウスキがソーシャル・ネットワーク上にジョークで合成画像を掲載したことがきっかけとなり、8月23日にCSリボウスキ加入が正式に発表された[12][13]

代表

2004年に出場したUEFA U-19欧州選手権では決勝のトルコ戦でロスタイムに決勝点を決め、優勝に貢献した。

2011年6月4日のアメリカとの親善試合で途中出場してA代表デビューを果たし、フェルナンド・トーレスの得点をアシストした[14]

人物

グティ2世」と呼ばれることもある[15]

タイトル

  • U-19スペイン代表
UEFA U-19欧州選手権 : 2004
  • 個人
ドン・バロン・アワード 最優秀スペイン人選手賞 : 2009-10

脚注

外部リンク

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