カリフォルニア州のサクラメントに生まれた。やがてサラ・ウォードとペアを結成し、1994年の全米選手権ジュニアクラスで3位となり、世界ジュニア選手権代表に選出されたが、のちに解散。その後ジャッキー・デイヴィソンとペアを組み1996年全米選手権ジュニアクラスで再び3位となったものの、長くは続かず解散に至る。
1997年、ローラ・ハンディーと新たにペアを結成し、1998-1999年シーズンからISUジュニアグランプリに参戦。JGPSNPバンスカーでいきなり優勝を飾り、JGPファイナル及び世界ジュニア選手権では2位、シニアクラスで出場した1999年全米選手権では3位となり躍進を遂げた。翌1999-2000年シーズンよりISUグランプリシリーズへの参戦も決まっていた。しかし、シーズン開幕を控えた1999年9月、練習中にポール・ビネボーズは頭蓋骨を骨折する大怪我を負い、二度とリンクに戻ることはなかった。
現在は大怪我から奇跡的な回復を果たし、選手として活動を再開することはなくなったものの、フィギュアスケートコーチに転身した。