マキシミリアン・グリッツナー
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アドルフ・マクシミリアン・フェルディナンド・グリッツナー(Adolf Maximilian Ferdinand Gritzner, 1843年7月29日 - 1902年7月10日)は、ドイツの紋章学の権威。ベルリン政庁で紋章官を務め、著書の勲騎士団に関する図鑑は2000年まで版を重ねている。ドイツ領ゾーラウ(Sorau, 現在のポーランド領ジャリ)で生まれ、ベルリンにて死去した。
バチカンから初めてイギリスを訪れたローマ教皇大使ブルーノ・ベルンハルト・ハイムはグリッツナーを「ドイツ語に『紋章学』という言葉を明確に定義した」と評した。1893年に出版した騎士団の定義書はのちに大きな影響力を備え、プロイセン王国の紋章官の立場から身分を貴族と偽る者の摘発に関わっている。
グリッツナーの立場は「皇帝府付中尉待遇」(独: Königlich Preussischer Kanzleirat und Premierleutnant ausser Dienst)とされ、息子のエーリッヒ・グリッツナー(Dr. Erich Gritzner)も紋章官兼広報官である。