マキシミリアン・グリッツナー

From Wikipedia, the free encyclopedia

マクシミリアン・グリッツナー
勲二等旭日重光章の図案
フランツ・ヨーゼフ勲章の図案

アドルフ・マクシミリアン・フェルディナンド・グリッツナー(Adolf Maximilian Ferdinand Gritzner, 1843年7月29日 - 1902年7月10日)は、ドイツ紋章学の権威。ベルリン政庁で紋章官を務め、著書の勲騎士団に関する図鑑は2000年まで版を重ねている。ドイツ領ゾーラウ(Sorau, 現在のポーランド領ジャリポーランド語版)で生まれ、ベルリンにて死去した。

バチカンから初めてイギリスを訪れたローマ教皇大使ブルーノ・ベルンハルト・ハイムドイツ語版はグリッツナーを「ドイツ語に『紋章学』という言葉を明確に定義した」と評した。1893年に出版した騎士団の定義書はのちに大きな影響力を備え、プロイセン王国の紋章官の立場から身分を貴族と偽る者の摘発に関わっている。

グリッツナーの立場は「皇帝府付中尉待遇」(: Königlich Preussischer Kanzleirat und Premierleutnant ausser Dienst)とされ、息子のエーリッヒ・グリッツナー(Dr. Erich Gritzner)も紋章官兼広報官である。

Related Articles

Wikiwand AI