マシュー・サード・ムハマド

From Wikipedia, the free encyclopedia

本名 マシュー・サード・ムハマド(前名マックスウェル・アントニオ・ローチ)
通称 Matthew Franklin
Miracle(奇跡の男)
身長 180cm
マシュー・サード・ムハマド
基本情報
本名 マシュー・サード・ムハマド(前名マックスウェル・アントニオ・ローチ)
通称 Matthew Franklin
Miracle(奇跡の男)
階級 ヘビー級
身長 180cm
リーチ 191cm
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 (1954-06-16) 1954年6月16日
出身地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没日 (2014-05-25) 2014年5月25日(59歳没)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 58
勝ち 39
KO勝ち 29
敗け 16
引き分け 3
無効試合 0
テンプレートを表示

マシュー・サード・ムハマドMatthew Saad Muhammad1954年6月16日 - 2014年5月25日)は、アメリカ合衆国男性プロボクサーペンシルベニア州フィラデルフィア出身。イスラム教に改宗以前の本名はマックスウェル・アントニオ・ローチMaxwell Antonio Loach)。第10代WBC世界ライトヘビー級王者。無敵を誇ったライトヘビー級王者時代の愛称はMiracle(奇跡の男)

1974年1月14日、故郷フィラデルフィアのスペクトラムでマシューはライトヘビー級のウェイトでプロデビューを果たし2回TKO勝ちを収め白星でデビューを飾った。

1974年5月22日、ジョー・ミドルトンと対戦し5回TKO勝ちを収めた。

1974年9月10日、ロイド・リチャードソンと対戦し4回TKO勝ちを収めた。

1974年10月22日、ジョー・ミドルトンと5ヶ月ぶりに対戦し2回1分32秒TKO勝ちを収めた。

1974年12月10日、ブルー・ホライズンでウェイン・マクギーと対戦し初黒星となる6回判定負けを喫した。

1975年2月25日、ブルー・ホライズンでバンデル・ウッズと対戦し6回55秒KO勝ちを収めた。

1975年7月24日、ルーセベルト・ブラウンと対戦し4回TKO勝ちを収めた。

1975年10月21日、ウェイン・マクギーと10ヶ月ぶりに対戦し6回引き分けに終わった。

1976年5月21日、ミランのパラッゾ・デッロ・スオートで後のWBC世界ライトヘビー級王者メート・パルロフと対戦しパルロフに初黒星を付ける8回判定勝ちを収めた。

1976年7月17日、後のWBCとIBFの双方で初代世界クルーザー級王者になるマービン・カメルと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1976年10月23日、マービン・カメルと3ヶ月ぶりに対戦し10回0-2(91-100、96-98、96-96)の判定負けを喫した。

1976年12月3日、メート・パルロフと7ヶ月ぶりに対戦し10回引き分けに終わった。

1977年3月11日、後のWBA世界ライトヘビー級王者エディ・ムスタファ・ムハマドと対戦し10回判定負けを喫した。

1977年6月23日、エド・ターナーと対戦し6回53秒KO勝ちを収めた。

1977年7月26日、後のライトヘビー級2冠王者でNABF北米ライトヘビー級王座決定戦としてマービン・ジョンソンと対戦し最終12回1分12秒大逆転TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1977年9月17日、スペクトラムでビリー・ダグラスと対戦し6回TKO勝ちを収め初防衛に成功した。

1978年2月10日、リッチー・カテスと対戦し6回1分35秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1978年6月19日、ダーレ・グラントと対戦し5回1分10秒TKO勝ちを収めた。

1978年8月16日、フレッド・ブライトと対戦し8回1分18秒TKO勝ちを収めた。

1978年10月24日、スペクトラムでヤクイ・ロペスと対戦し11回2分59秒TKO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

1979年4月22日、インディアナポリスのマーケット・スクエアー・アリーナでWBC世界ライトヘビー級王者マービン・ジョンソンと対戦し8回TKO勝ちを収め王座獲得に成功した。

1979年8月18日、アトランティックシティのリゾーツ・インターナショナル・アトランティックシティで元WBC世界ライトヘビー級王者ジョン・コンテと対戦し15回3-0(146-142、144-143、146-141)の判定勝ちを収め薄氷の初防衛に成功した。

1980年3月29日、リゾーツ・インターナショナル・アトランティックシティでジョン・コンテと7ヶ月ぶりにダイレクトリマッチで対戦し4回2分27秒TKO勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

1980年5月11日、ルイス・ペルグラウンドと対戦し5回1分19秒TKO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。

1980年7月13日、ヤクイ・ロペスと対戦。苦戦はしたものの14回2分3秒TKO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

1980年11月28日、ルッティー・ムワレと対戦し4回2分25秒KO勝ちを収め5度目の防衛に成功した。

1981年2月28日、ヴォンゼル・ジョンソンと対戦し11回2分23秒TKO勝ちを収め6度目の防衛に成功した。

1981年4月25日、後の初代IBF世界スーパーミドル級王者マレイ・サザーランドとリゾーツ・インターナショナル・アトランティックシティで対戦し9回1分16秒逆転KO勝ちを収め7度目の防衛に成功した。

1981年9月26日、ジェリー・マーティンと対戦し11回28秒TKO勝ちを収め8度目の防衛に成功した。

1981年12月19日、アトランティックシティのプレイボーイ・ホテル・アンド・カジノでドワイト・ムハマド・カウィと対戦し10回2分54秒TKO負けを喫し9度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

1982年4月17日、ピート・マクインターと対戦し2回2分28秒TKO勝ちを収め復帰戦を白星で飾った。

1982年8月7日、スペクトラムでWBC世界ライトヘビー級王者ドワイト・ムハマド・カウィと8ヶ月ぶりに再戦し6回1分23秒TKO負けを喫し8ヶ月ぶりの王座返り咲きに失敗した。

1983年3月23日、エリック・ウィンバッシュと対戦し3回1分53秒TKO負けを喫した。

1984年2月11日、NABF北米ライトヘビー級王者ウィーリー・エドワーズと対戦し11回TKO負けを喫し王座獲得に失敗した。試合後マシューは1度目の引退を表明した。

1986年1月10日、クリス・ウェラースと対戦し6回40秒TKO勝ちを収め2年ぶりの復帰戦を白星で飾った。

1986年2月21日、後のIBF世界クルーザー級王者ユーライア・グラントと対戦し10回判定負けを喫した。

1986年11月16日、トーマス・ポロ・ルイスと対戦し10回判定勝ちを収めた。

1987年1月30日、パット・シュトラーチャンと対戦し10回0-3(2者が96-97、97-98)の判定負けを喫した。

1987年6月26日、ジェームス・コアクリーと対戦し3回KO勝ちを収めた。

1988年10月21日、フランキー・スウィンデルと対戦し初回2分33秒TKO負けを喫した。

1989年10月24日、ケルビン・ワンスタッフと対戦し8回0-1(76-76、75-77、77-77)の引き分けに終わった。

1990年2月16日、ハンブルクのスポッザーレで後のWBO世界クルーザー級王者マルクス・ボットと対戦し3回TKO負けを喫した。

1991年2月26日、エド・マックと対戦し8回判定負けを喫した。

1991年5月9日、ノヴィ・サドでアントン・ジョシポビッチと対戦し8回判定負けを喫した。

1991年8月15日、ゴヴォナー・チャヴァースと対戦し初回KO勝ちを収めた。

1991年10月5日、マイケル・グリーンと対戦し8回判定負けを喫した。

1991年10月29日、アンドリュー・メイナルドと対戦し3回20秒TKO負けを喫した。

1992年3月21日、ジェイソン・ワーラーと対戦し2回KO負けを喫した試合を最後に現役を引退した。

引退後はトレーナーとして主に世界戦で戦ったアトランティックシティでトレーナーを務めた。

1998年ライトヘビー級クラス最強だったことが評価されて引退から8年の速さでマシューを国際ボクシング名誉の殿堂博物館のモダーン部門で殿堂に迎え入れられた。

2014年5月25日、ALS呼吸筋麻痺により死亡。長くALSと闘病しており誕生日まで後1ヶ月だった。59歳没。

死亡後マシューをリングマガジンが偉大なベストパンチャーベスト100の24位に選出した。

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI