滞日中は、日本の風物を研究する一方、日本に助産師の学校を開いて、通訳の助けを借りて、みずから講義を行った。1877年に結核に罹患し、ヨーロッパに帰ることになった。1879年にパリでMDの学位を取った。フランスで日本人の成長に関する研究"Recherches surles dimensions générales et sur le développement du corps chez les Japonais"を発表した。アイルランドやロンドンで医学の研修を続けた。病状が悪化し、冬はアルジェや南フランスで避寒生活を行ったが1883年、37歳で没した。
日本へ渡航した時から、スコットランドの新聞、「スコッツマン」などに日本の政局や風習や西洋の教育問題に関して、多くの寄稿を行った。1879年に彼女の描いたスケッチを挿入した著書、"Child Life in Japan"を出版した。女性に対する教育問題と社会的地位の向上に強い関心を持ち、パリに女子学生のクラブの設立に協力し、ロンドンのサマービル・クラブの設立を助けた。
参考文献
Nyenhuis, Jacob E. (2003). "notes". Myth and the creative process: Michael Ayrton and the myth of Daedalus, the maze maker. Detroit: Wayne State University Press. p. 207. ISBN 0-8143-3002-9.
Lee, Sidney (1885). "Ayrton, Matilda Chaplin". In Leslie Stephen. Dictionary of National Biography. 02. London: Smith, Elder & Co.