マティ・マツダ

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マティ・マツダ (Matty Matsuda、1887年 - 1929年10月15日) [1]は、アメリカ合衆国で活躍した、20世紀初頭の著名な日本人プロレスラー柔道家で本名は松田萬治郎[2][3](まつだ まんじろう、松田万次郎の表記もみられる[4])。

概要 マティ・マツダ, プロフィール ...
マティ・マツダ
プロフィール
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日本人プロレスラー初の世界王者になった人物[3]。スポーツ記者から、熟練したレスラーであり紳士と評され、アメリカ合衆国での故郷となるテキサスエルパソの人々からは故郷からやってきた英雄として迎えられ、そして非常にクリーンで上品、そして賢いレスラーという印象だったという[5]。現役時代の身長は170センチメートル、体重は85キログラム。得意技はフライング・メア(アームスピン投げ)。 熊本県八代市出身。洋画家松田澄夫叔父にあたる。

生涯

当時の八代郡文政村(現在の八代市鏡町文政)で農家の次男として生まれる。少年時代から体が大きく、運動万能で柔道相撲で身体を鍛えて、ケンカも強かったというが、1904年(明治37年)17歳のときに単身渡米。この時点では行方不明者となっており、それから約10年後の1906年(明治39年)にいきなりアメリカから実家のもとに手紙が届いて、海の向こうでプロレスラーとして活躍していることがわかった[4]

1905年(明治38年)あたりから1909年(明治42年)にかけての4年間はカナダバンクーバーに滞在。ブリティッシュコロンビア州でのスポーツ大会では柔道のデモンストレーションを行ったとされ、同地バンクーバーで行われたフランク・ゴッチとダン・マクラウドのプロレスリング試合に触発され、プロレスのトレーニングを始めた[6]。彼はフランク・ゴッチへの恩返しとして、ゴッチの弟子であるロイ・ムーア (Roy_Moore_(wrestler)) を含むゴッチのレスリングの弟子たちに柔道を教える。これによりムーアは後に柔道をアメリカに広める上で重要な人物となる。

アメリカ合衆国北西部でプロレスラーとして活動した後、マツダはミネアポリスに移り、1910年(明治43年)2月にはオレゴン州ポートランドでの試合記録が、1911年(明治44年)2月にミネソタ州セントポールで試合をしたという記録が残っており、1910年代は主に中西部や南東部で試合を行っていた[4]

1912年(大正元年)4月、オハイオ州トレドでライバルのジョニー・ビレター(Johnny Billeter“タイガー”デイリー​​)と4時間に及ぶ死闘を繰り広げ、この試合は引き分けに終わったが、同年6月のビレターとの再戦により、松田は世界ライト級プロレスリング王者の座を主張する権利を得ることとなる[7]。つまりは日本で最初にプロレスリング王者になった人物となる。2年間チャンピオンの座を守ったが、その後再試合で判定負けを喫してタイトルを奪われ、これを機に、ジュニアウェルター級に変更[5]

1920年(大正9年)5月まではコロンバスやトレド、デラウェアアクロンといったオハイオ州内の各都市で試合をしていた記録が残る[4]

その後テキサス州に移住し、主に同州とカンザス州で活動した。白人女性と結婚してエルパソに移り住むのである。1920年以降はエルパソのリバティ・ホールの定期レスリングショーのメインイベンターを長く勤めた。さっそく同地でライバルのジャック・レイノルズ(表記はジャッキー・レナウド)を破り、当時の世界ジュニアウェルター級王座を獲得[6]。以来、多くの挑戦者がタイトルを狙ってきたが、マツダは同地テリトリーの同級選手全員に勝利している。エルパソで124試合を行い、ウェルター級では一度も負けたことがなかったという[5]

1929年(昭和4年)8月14日、ジャッキー・レナウドもしくはバサンタ・シンとの試合で深刻な内臓損傷と膝を痛めたのが元で骨髄炎になり、これらが原因でミシガン州バトルクリークの病院に入院し闘病生活をおくるが[8]、同年に現役選手のままこの世を去る。享年50。死去後、リバティ・ホールにて表彰とマツダの追悼式が執り行われる[5]

メキシコEMLL旗揚げ時にメインイベントを張ってメキシカン・ミドル級チャンピオンとなるヤキ・ジョー(Yaqui Joe)や初期エストレージャであるフランシスコ“チャロ”アグアヨ、ラウル・ロメロ(Raul Romero)らはエルパソでマツダからプロレスを習ったと伝わる。

マツダから実家に送られた現存資料には、マツダがコラージュされたクリスマス・カードやスーツ姿のマツダがプロボクシング世界ヘビー級王者ジャック・デンプシーと肩を並べて記念撮影におさまっているポートレート、柔道着を着たマツダが柔道ジャケット・マッチのデモンストレーションをおこなっている写真などがある。クリスマス・カードにチャンピオンベルトを腰に巻いたロングタイツ姿の写真とWorld’s Junior Welterweight Champion Wrestlerというキャプションがある。柔道ジャケット・マッチのデモンストレーションではマツダと同じ時代を生きた柔道家・プロレスラーのタロー三宅をマツダが一本背負いをかけている姿である[3]

脚注

参考資料

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