マヌエル・メリーノ
政治家, ペルー
From Wikipedia, the free encyclopedia
マヌエル・アルトゥロ・メリーノ・デ・ラマ(スペイン語: Manuel Arturo Merino de Lama, 1961年8月20日 - )は、ペルーの政治家。人民行動党 (ペルー)所属。2020年に共和国議会議長を務め、同年11月10日から11月15日まで共和国大統領を務めた。
ペルーの政治家 マヌエル・アルトゥロ・メリーノ・デ・ラマManuel Arturo Merino de Lama | |
|---|---|
|
| |
| 生年月日 | 1961年8月20日 |
| 出生地 |
|
| 出身校 | ピウラ国立大学農学部 |
| 前職 | 農業生産者・農業商業者 |
| 所属政党 | 人民行動党 |
| 称号 | ペルー共和国議会名誉勲章 大十字級 |
| 配偶者 | マリー・ペニャ・カルイテロ |
| 子女 | エルバ・ジャクリーン、サンドラ・リスベス、マリア・テレサ |
| 宗教 | ローマ・カトリック |
| 内閣 | メリーノ内閣 |
| 在任期間 | 2020年11月10日 - 2020年11月15日 |
| 在任期間 | 2020年3月16日 - 2020年11月10日 |
| 選挙区 | トゥンベス県 |
| 当選回数 | 3 |
| 在任期間 | 2020年3月16日 - 2021年7月26日 |
| 選挙区 | トゥンベス県 |
| 当選回数 | 2 |
| 在任期間 | 2011年7月26日 - 2016年7月26日 |
| 選挙区 | トゥンベス県 |
| 当選回数 | 1 |
| 在任期間 | 2001年7月26日 - 2006年7月26日 |
メリーノは、トゥンベス県を基盤として政治活動を行い、2001年から2006年、2011年から2016年、2020年から2021年まで共和国議会議員を務めた。2020年3月には共和国議会議長に選出され、マルティン・ビスカラ大統領の政権下で議会を率いた。
2020年9月、議会はビスカラ大統領に対する大統領罷免手続きを開始したものの、必要な票数に達せず失敗した。しかし同年11月、別の疑惑をめぐって再び罷免手続きが行われ、11月9日に議会はビスカラを罷免した。これを受け、憲法上の大統領継承順位に基づいて、議会議長であったメリーノが11月10日に大統領に就任した。
メリーノ政権は、就任直後から正統性をめぐる批判と大規模な抗議運動に直面した。閣僚の辞任が相次ぐ中、11月14日に警察と抗議参加者の衝突によって死者が発生すると、政権に対する批判はさらに強まった。最終的にメリーノは11月15日に大統領辞任を表明し、在任期間は5日間にとどまった。
その後、共和国議会はメリーノの辞任を受理し、フランシスコ・サガスティが新たな議長に選出された後、11月17日に憲法上の大統領として就任した。メリーノの大統領在任は、ペルー現代政治史における2020年の政治危機を象徴する出来事の一つとして位置付けられている。
生涯
出生と家族
マヌエル・アルトゥロ・メリーノ・デ・ラマは1961年8月20日、ペルー北部のトゥンベスに生まれた。トゥンベスはエクアドルとの国境に近い地域であり、農業や牧畜が主要な産業の一つとなっている土地である。メリーノは後に政治家として活動するようになった後も、出生地であるトゥンベスを自身の政治活動の主要な基盤とした。
少年期と教育
メリーノはトゥンベスで少年期を過ごし、同地のサンタ・マリア・デ・ラ・フロンテラ校およびインマクラダ・コンセプシオン校で初等・中等教育を受けた。その後、ピウラ国立大学農学部で学び、農業に関する専門教育を受けた。 大学で農学を学んだことは、後のメリーノの職業経歴と政治活動にも影響を与えた。彼は農業・畜産を基盤とするトゥンベスの社会や地域経済に関わりながら、政治活動へ進出することとなった。
農業関係の仕事
大学での学業を終えた後、メリーノは農業生産者および農産物の商業に従事した。また、牛の飼育にも関わり、農業・畜産分野を中心に活動した。 農業関係者としての経験は、後の政治活動においても重要な背景となった。メリーノは国会議員となった後も、トゥンベスの農業や畜産業が抱える問題を取り上げ、小規模農家への支援、灌漑施設の整備、農業生産の改善などを議会活動の課題として扱った。2020年にも、トゥンベスの農業・畜産関係者と面会し、灌漑や農業支援について政府に対応を求めている。
アクシオン・ポプラルへの入党
メリーノは1979年、フェルナンド・ベラウンデ・テリーが創設した人民行動党(Acción Popular)で政治活動を始めた。最初は同党の青年組織で活動し、その後正式に党員となった。 当時のペルーでは、軍事政権から民政への移行が進められており、1980年にはベラウンデが再び大統領に就任した。メリーノが青年期から人民行動党に参加したことは、後の彼の政治的経歴を方向付ける重要な契機となった。 メリーノはその後も長期間にわたって人民行動党に所属し、トゥンベスにおける同党の活動に関わった。こうした党活動を通じて、地域社会とのつながりを広げ、将来の国政進出に向けた政治的基盤を築いていった。
初期の政治活動
メリーノは青年期以降、人民行動党の党活動と並行して、トゥンベスを中心とする地域政治に関わるようになった。特に地域の農業、インフラ、国境地域の開発などに関心を示し、地方の要望を国政へ届ける政治家としての活動を続けた。 2001年の総選挙では人民行動党を中心とする選挙連合の候補としてトゥンベス選挙区から国会議員に選出され、国政へ進出した。これにより、青年期から続けてきた党活動と地域社会での活動は、国会議員としての政治活動へと移行することとなった。 国会議員となった後も、メリーノはトゥンベスの地域的課題を重視した。2001年の国会活動では、トゥンベス川流域の灌漑事業、道路や橋梁などの交通インフラ、国境地域の開発に関する提案を行っており、地域利益を国政に反映させることを重視していたことがうかがえる。これらの活動を通じて、メリーノはトゥンベスを政治的基盤とする国会議員としての地位を築いていった。
政治活動
2000年総選挙への立候補
メリーノは2000年の総選挙に人民行動党の候補者としてトゥンベスを選挙区として立候補した。しかし、この選挙では当選に至らず、国会議員として国政に進出することはできなかった。 当時のペルーでは、アルベルト・フジモリ政権の下で政治的緊張が高まっており、人民行動党を含む既成政党の勢力は低下していた。メリーノはこの選挙で議席を獲得できなかったものの、その後も人民行動党の活動を続け、トゥンベスを基盤とする政治家として活動を継続した。
2001年総選挙と国会議員初当選
2001年の総選挙では、メリーノは人民行動党系の候補としてトゥンベス選挙区から立候補した。この選挙では当選を果たし、初めて共和国議会議員となった。 当選後の任期は2001年7月26日から2006年7月26日までであり、トゥンベスを代表する議員として活動した。メリーノは農業をはじめとする地域産業、公共インフラ、国境地域の発展などを重視し、地方の問題を国政の場で取り上げた。 また、議会では消費者防衛委員会の委員長を務めるなど、議会内の委員会活動にも参加した。こうしてメリーノは、地方を基盤とする政治家として国政での経験を積んでいった。
第1次国会議員時代
2001年から2006年までの最初の国会議員在任中、メリーノはトゥンベスの地域的利益を代表する活動を続けた。特に農業、灌漑、道路などのインフラ整備に関する問題に関心を示し、地域社会からの要望を政府や議会に伝える役割を担った。 同時期には国会の消費者防衛委員会を率い、消費者保護に関する立法や監督活動にも携わった。農業を専門分野としてきた経歴を持ちながら、国会議員としては地域開発や消費者政策など複数の分野に活動範囲を広げた。
2006年総選挙
2006年の総選挙では、メリーノは再選を目指して立候補したものの、議席を獲得することはできなかった。人民行動党のフェルナンド・ベラウンデ・テリー政権期から続く同党の政治的系譜を背景に活動したが、2006年の選挙では再び国会へ戻ることはできなかった。 選挙後、メリーノはトゥンベスを基盤とする政治活動を継続し、地域社会との関係を維持した。この時期の活動は、後に再び国政へ復帰するための政治的基盤となった。
2010年トゥンベス州知事選挙
2010年の地方選挙では、メリーノは人民行動党の候補者としてトゥンベス県知事選挙に立候補した。しかし、当選には至らず、13人の候補者のうち第6位となった。 この選挙では、地方政治の基盤を国政だけでなく州政府にも広げようとしたものの、知事職を獲得することはできなかった。選挙結果では5708票を獲得しており、翌2011年の総選挙では再び国会議員選挙に挑戦することとなった。
2011年総選挙と再選
2011年の総選挙では、メリーノはトゥンベス選挙区から再び国会議員に立候補した。この選挙では、人民行動党が参加したペルー・ポシブレとの選挙協力の枠組みの下で当選し、2001年以来10年ぶりに国会へ復帰した。 2011年から2016年までの任期では、住宅委員会の委員長などを務めたほか、議会内で積極的な活動を行った。また、2011年から2013年にはアマゾン議会の副議長も務め、地域間協力に関する活動にも関与した。
国会第一副議長
2011年7月26日、メリーノはダニエル・アブガッタスを国会議長とする議会運営部の第一副議長に選出された。第二副議長にはイェウデ・シモン、第三副議長にはミゲル・ウルテチョが選出され、メリーノは国会運営を担う主要な役職の一つを占めた。 第一副議長としての在任中、メリーノは国会の本会議や委員会活動に加え、議会運営にも関与した。この経験は、その後再び議会に戻り、2020年に国会議長へ就任する際の重要な政治的経歴となった。ペルー国会の公式記録でも、2011年から2012年の会期にメリーノが第一副議長を務めたことが確認できる。
2016年総選挙
2016年の総選挙では、メリーノは人民行動党からトゥンベス選挙区に立候補したものの、当初は議席を獲得できなかった。その後、選挙結果に伴う議席の変動によって、トゥンベス選出議員として国会に復帰することとなった。 この時期のメリーノは、議会内で人民行動党の一員として活動し、トゥンベス地域を代表する国会議員としての立場を維持した。国会の記録でも、メリーノは2016年から2021年までの任期を担った議員として確認されている。
2020年総選挙
2020年1月、マルティン・ビスカラ大統領が実施した議会解散後の特別選挙で、メリーノは人民行動党の候補としてトゥンベス選挙区から立候補した。この選挙で当選し、2016年からの議席を引き継ぐ形で再び国会議員となった。 2020年の議会では人民行動党が一定の議席を確保しており、メリーノはその中でベテラン議員の一人として活動した。新しい議会は、2019年に解散された議会の残りの任期を担うために招集され、政治的には極めて不安定な状況の中で発足した。 メリーノはこの議会で、後に国会議長となるまで議会運営の中心人物の一人となっていった。
国会議長就任
2020年3月16日、共和国議会は議会運営部の選挙を行い、メリーノを国会議長に選出した。メリーノの議長就任は、新型コロナウイルス感染症の流行が始まった時期と重なり、議会は感染拡大への対応と政府への監督という重要な役割を担うこととなった。 メリーノは国会議長として、議会の本会議を統括するとともに、議会を代表して政府との関係を調整する立場にあった。2020年当時のペルーでは、大統領と議会の対立が続いており、メリーノが率いる議会もビスカラ政権との緊張関係を強めていった。 その後、ビスカラ大統領に対する罷免手続きが進められると、メリーノは国会議長としてその手続きを統括する立場となった。最終的に同年11月9日にビスカラが罷免されると、憲法上の大統領継承規定に基づき、メリーノは翌10日に共和国大統領へ就任することとなった。ペルー国会の公式記録では、メリーノの大統領在任期間は2020年11月10日から15日までで、「継承」による大統領就任として記録されている。
2020年の政治危機
マルティン・ビスカラ政権との対立
2020年、メリーノが国会議長を務めていた時期、ペルーではマルティン・ビスカラ大統領と共和国議会との対立が深まっていた。ビスカラは2019年9月に国会を解散したが、その後2020年1月の特別議会選挙を経て新たな議会が発足した。メリーノは2020年3月16日に国会議長に選出され、新議会の運営を担うこととなった。 新議会では、政府の汚職対策、政治改革、新型コロナウイルス感染症への対応などをめぐって大統領府と議会の間に意見の相違が生じた。メリーノ自身もビスカラ政権に対する議会の監督権限を重視し、政府に対して説明責任を果たすよう求めていた。 2020年9月には、ビスカラ大統領をめぐる疑惑を受けて罷免手続きが提起され、メリーノは国会議長としてその審議を主宰する立場となった。メリーノは、自身が政府を不安定化させる動きに関与しているとの批判を否定し、議会活動は憲法と国会の権限に基づいて行われていると主張した。
第1回大統領罷免手続き
2020年9月、ビスカラ大統領が文化省の契約をめぐる疑惑などに関与したとの主張を背景として、国会議員らは大統領の「恒久的な道徳的無能力」を理由とする大統領罷免を求める動議を提出した。これはペルー憲法第113条第2号を根拠とするものであった。 9月11日、国会はこの罷免動議の審議入りを承認し、9月18日に本会議で本格的な審議を行った。ビスカラは国会で自らの弁明を行い、メリーノは国会議長として議事を進行した。 採決の結果、賛成32票、反対78票、棄権15票となり、罷免に必要な票数には達しなかった。このため第1回の罷免手続きは否決され、動議は廃案となった。 第1回の罷免手続きは成立しなかったものの、ビスカラ政権と議会との関係はその後も緊張したままであった。メリーノは国会議長として、議会が政府を監督する憲法上の権限を行使する必要があるとの立場を維持した。
新型コロナウイルス感染症流行下の政治情勢
2020年は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行がペルーにも大きな影響を及ぼした年であり、政府と国会は医療、経済、雇用、社会保障など多くの課題への対応を迫られていた。 ペルー政府は感染拡大の抑制を目的として厳格な移動制限や公衆衛生対策を実施した一方、経済活動の停滞や失業、貧困への対応も大きな政治課題となった。こうした危機の中で、政府の政策や行政運営をめぐる議会の監督も強化され、ビスカラ政権と国会との政治的緊張は続いた。 メリーノはこのような状況下で国会議長を務め、国会の活動を継続するとともに、政府に対する議会の監督を行った。新型コロナウイルス感染症への対応そのものだけでなく、感染拡大によって生じた経済・社会問題をめぐっても、政府と議会の間で意見の違いが表面化した。
第2回大統領罷免手続き
2020年10月、ビスカラ大統領に対する新たな罷免動議が提出された。第2回の手続きでは、ビスカラがモケグア県知事を務めていた2011年から2014年にかけての汚職疑惑などが問題とされ、再び憲法第113条第2号に基づく「恒久的な道徳的無能力」が罷免理由として主張された。 国会は10月23日にこの動議を審議する手続きを開始し、11月2日に本会議での審議入りを承認した。その後、11月9日に本会議で罷免案の最終審議が行われた。 第2回の罷免手続きでは、第1回とは異なり、多数の議員がビスカラの罷免に賛成する姿勢を示した。ビスカラは国会に出席して弁明を行ったが、議会内では罷免を求める動きが強まっていた。
ビスカラ大統領の罷免
2020年11月9日、共和国議会はビスカラ大統領の罷免案を採決し、賛成105票、反対19票、棄権4票で可決した。必要とされる法定議員総数の3分の2にあたる87票を大きく上回ったため、ビスカラは「恒久的な道徳的無能力」を理由として大統領職を失った。 罷免決議は、同時に憲法第115条に定められた大統領職の継承手続きを適用することを定めた。当時、副大統領職はすでに空席となっていたため、憲法上、国会議長であったメリーノが大統領職を継承することとなった。国会は11月10日に大統領就任式を行うことを決定し、メリーノが国家元首として就任することになった。 こうしてメリーノは、国会議長から大統領へと急速に地位を移すこととなった。しかし、この政権継承は国会による罷免決議の正統性や、議会が大統領を罷免する際の「恒久的な道徳的無能力」という規定の適用方法をめぐって、国内で強い論争を引き起こすこととなった。メリーノが大統領に就任した後、これらの問題は大規模な抗議運動へと発展し、わずか数日で政権を揺るがすことになる。
大統領就任
大統領継承
2020年11月9日、共和国議会はマルティン・ビスカラ大統領について、憲法第113条第2号に定める「恒久的な道徳的無能力」を理由として大統領職を空席とする決議を採択した。採決は賛成105票、反対19票、棄権4票であり、憲法上必要とされる87票を上回った。これに伴い、副大統領職が空席となっていたことから、憲法第115条に基づき、当時の国会議長であったメリーノが大統領職を継承することとなった。 議会は同日夜、翌10日に大統領就任式を開催することを決定した。国会はメリーノの就任を憲法上の継承手続きとして位置付け、メリーノ自身も2020年11月10日の就任演説で、自らが2016年から2021年までの憲法上の任期を完了させるために大統領職を担うと表明した。
2020年11月10日の就任
2020年11月10日、メリーノは共和国議会の本会議において大統領就任の宣誓を行った。宣誓式では、第一副議長のルイス・バルデス・ファリアスから大統領綬帯を授与され、国家元首として正式に職務を開始した。ペルー国会の公式な歴代統治者記録では、メリーノの在任期間は同年11月10日から15日までとされ、「憲法上の大統領」であり、就任理由は「継承」と記録されている。 就任演説においてメリーノは、国家の統一、汚職との戦い、新型コロナウイルス感染症への対応、経済再建、治安、市民の権利などを課題として掲げた。また、政権の最重要課題の一つとして、予定されていた2021年の総選挙を予定通り実施し、選挙によって選ばれた次期政権へ権力を引き渡すことを強調した。
暫定政権の方針
メリーノは、自らの政権を2021年の選挙と政権移行までを担う暫定的な政権として位置付けた。国会議長として大統領職を継承した経緯から、長期的な政治制度の変更よりも、既に決定されていた選挙日程を維持し、通常の憲法秩序へ移行することが主要な政治課題となった。 2020年11月10日の就任後、メリーノは2021年4月11日に予定されていた総選挙の日程を変更しないことを明言した。また、選挙機関が独立して職務を遂行できるよう必要な支援を行い、2021年7月28日に予定された新政権への民主的な政権移行を実現すると表明した。 同時に政府は、新型コロナウイルス感染症への対応、経済の回復、雇用、教育、治安、労働・社会権の保護、汚職対策などを政権の主要課題として掲げた。就任直前に国会議長名義で発表された方針でも、これらの分野を暫定政権の重点課題とすることが示されていた。
2021年総選挙の保証
メリーノ政権は発足当初から、2021年4月11日に予定されていた総選挙を予定通り実施することを繰り返し表明した。メリーノは就任演説において、選挙日程を変更する権限を行使しないことを明確にし、選挙機関の独立性を尊重すると述べた。 さらに、2021年7月28日に新たに選出された大統領へ政権を移譲することを約束し、自身の政権が選挙を通じた民主的な権力移行を実現するための暫定的な政府であることを強調した。こうした姿勢は、ビスカラ罷免後の政治的混乱の中で、政権交代を憲法上の手続きに沿って進めることを示すものであった。 しかし、メリーノ政権は就任直後から大規模な抗議運動に直面することとなり、選挙まで政権を維持するという当初の想定を実現することはできなかった。わずか5日後の11月15日、メリーノは大統領職を辞任した。
閣僚の任命
メリーノは大統領就任後、政府の執行体制を整えるため、新たな内閣の発足を進めた。首相には元国会議員・元閣僚のアンテロ・フローレス・アラオスを起用し、2020年11月11日に首相としての宣誓を行わせた。翌12日には、新内閣の各閣僚が政府宮殿で宣誓した。 フローレス・アラオスを首班とする内閣には、外相フランカ・デサ、国防相ワルテル・チャベス、経済・財務相ホセ・アリスタ、内相ガストン・ロドリゲス、保健相アベル・サリナスなどが起用された。農業・灌漑、教育、労働、運輸・通信などの主要閣僚にも新たな人事が行われた。 政府はこの内閣について、政治的に幅広い人材を起用し、議員を閣僚に含めない方針を示したほか、治安、感染症対策、経済、雇用、2021年選挙を主要課題として掲げた。しかし、メリーノ政権そのものに対する国内の反発が急速に拡大したため、この内閣が本格的に政策を実施できる期間は極めて短いものとなった。
メリーノ政権
政権発足
2020年11月10日、マヌエル・メリーノは共和国議会議長から大統領へ移行し、政権を発足させた。ビスカラ大統領の罷免を受けた憲法上の継承による就任であったが、就任そのものをめぐって国内では強い政治的論争が起こった。とくに、国会によるビスカラの罷免手続きの正当性や、「恒久的な道徳的無能力」という憲法上の規定を大統領罷免の根拠として用いたことについて、批判的な見方が広がった。 メリーノは就任演説において、2021年4月に予定されていた総選挙を予定通り実施し、同年7月28日に新政権へ平和的に権力を移譲すると表明した。また、新型コロナウイルス感染症への対応、経済再建、雇用、教育、治安などを主要な課題として掲げ、自らの政権を次期選挙までの暫定的な政権として位置付けた。
国会との関係
メリーノ政権は、成立の経緯そのものが共和国議会と密接に結びついていた。メリーノ自身が就任直前まで国会議長を務めており、大統領就任後も議会内の多数派との関係を維持することが政権運営上の重要な課題となった。 一方、ビスカラ罷免を主導した議会の政治勢力に対しては、国会が大統領職を過度に支配しているとの批判も生じた。とりわけ、ビスカラの罷免とメリーノの大統領就任が事実上一体化していたことから、メリーノ政権が議会の一部勢力による権力掌握の結果であるとの批判が広がった。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチも、ビスカラ罷免の法的根拠には重大な疑問があるとの評価を示していた。 メリーノ政権は、議会と政府が同一の政治的基盤から出発したことで、当初は一定の協力関係を形成することが期待された。しかし、政権発足直後から国会内外の反発が強まり、議会と政府の関係も急速に不安定化した。
政治的反発
メリーノの大統領就任直後から、国内では政権の正統性に対する強い反発が生じた。ビスカラの罷免を支持した議員の中には、自身も汚職などをめぐる捜査対象となっている者がいたことから、罷免が議員自身の政治的利益を守るために行われたのではないかとの批判も提起された。 また、メリーノが選挙を予定通り実施すると約束したにもかかわらず、大統領就任そのものに対する国民の不信は収まらなかった。首都リマを中心に抗議デモが拡大し、若者を中心とする市民が街頭に集まるようになった。 政府は当初、選挙日程を維持し、任期を限定した暫定政権であることを強調した。しかし、抗議運動が拡大するにつれて、メリーノ政権は短期間のうちに国内政治上の支持を失っていった。
国民の抗議運動
メリーノが大統領に就任した11月10日以降、ビスカラの罷免とメリーノ政権の成立に抗議するデモがペルー各地で行われた。特にリマでは大規模な集会が連日開催され、若者を中心とする多数の市民が参加した。抗議参加者の多くは、ビスカラの罷免そのものに反対し、国会主導による政権交代を認めない姿勢を示した。 抗議運動は、特定の政党が一元的に指導するものではなく、若年層を含む幅広い市民による運動として展開した。ソーシャルメディアを通じた呼び掛けも活発で、首都リマだけでなく地方都市にも抗議行動が広がった。 デモの一部では警察との衝突も発生したものの、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、11月9日から15日に行われた抗議の大部分は平和的であったと評価している。
治安部隊の対応
抗議運動の拡大に対して、ペルー国家警察はデモの解散を目的として催涙ガスやその他の非致死性装備を使用した。これに対し、警察が平和的な抗議参加者に対して過剰かつ無差別な実力を行使したとして、国内外から強い批判が寄せられた。 ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査では、11月9日から15日にかけての抗議活動で200人以上が負傷し、2人の抗議参加者が死亡したとされている。また、平服警察官を含む治安部隊による恣意的な拘束や、ジャーナリストへの暴行・機材の押収なども報告された。 こうした治安部隊の対応は、メリーノ政権に対する国内外の批判をさらに強める結果となった。11月14日夜にはリマ中心部で特に深刻な衝突が発生し、2人の若者が死亡したことで、政権の存続そのものが危機にさらされることとなった。
政権への批判
メリーノ政権に対する批判は、大統領就任の正統性、議会によるビスカラ罷免の妥当性、抗議運動への対応など複数の問題に集中した。 政権に批判的な勢力は、メリーノが国会議長から大統領へ直接移行したことを問題視し、議会が大統領職を奪取したとの見方を示した。また、人権団体はビスカラ罷免の法的根拠が疑わしいと指摘し、その結果成立したメリーノ政権についても、政治的な正統性に重大な問題があるとの評価を示した。 さらに、抗議活動への警察対応をめぐって政権への批判が急激に強まった。特に11月14日の死者発生後は、政府に対する抗議だけでなく、閣僚や議会内部からも政権の存続を疑問視する声が相次いだ。 メリーノは政権発足時に選挙の実施と平和的な政権移行を約束していたものの、その目標を実現する前に政治的支持を失うこととなった。
アクシオン・ポプラル内部の反応
メリーノが所属していた人民行動党(Acción Popular)でも、政権への対応をめぐって意見の相違が表面化した。ビスカラ罷免をめぐっては、党所属議員の間でも投票行動が一様ではなく、メリーノによる大統領就任に対する評価も分かれた。 メリーノ政権に対する抗議運動が拡大すると、人民行動党内からも政権の対応に対する懸念が表明された。特に抗議参加者の死者が発生した後には、党内外でメリーノの辞任を求める動きが強まった。 このことは、メリーノ政権が成立時点では国会内の一定の支持を得ていたものの、党全体を安定的な政治基盤として維持することには成功しなかったことを示している。
閣僚の相次ぐ辞任
2020年11月14日夜から15日にかけて抗議運動への警察対応が深刻な問題となり、メリーノ政権では閣僚の辞任が相次いだ。特に11月15日には、アンテロ・フローレス・アラオス首相が率いる閣僚全員が辞任を申し出た。これはメリーノ政権が事実上、統治能力を維持することが困難な状況に陥ったことを示すものであった。 閣僚の大量辞任を受け、メリーノ自身も同日、国民向け演説で大統領職からの辞任を表明した。辞任の背景には、抗議運動で2人の若者が死亡したことと、それによって政権に対する国内の政治的支持が急速に失われたことがあった。国会は同日、120票対1票でメリーノの辞任を受理した。 メリーノ政権は、発足からわずか数日で崩壊した。11月15日の辞任によって、2020年の政治危機は新たな政権継承の段階へ移り、翌16日にはルイス・バルデスに代わってフランシスコ・サガスティが国会議長に選出され、17日に暫定大統領へ就任することとなった。
失脚
大統領辞任要求
メリーノ政権は発足直後から、ビスカラ大統領の罷免とその後の大統領就任をめぐって強い批判にさらされた。とりわけ、2020年11月10日以降に各地で抗議運動が拡大すると、メリーノに対して大統領職を辞任するよう求める声が次第に強まった。 当初、メリーノは2021年4月11日に予定されていた総選挙を実施し、同年7月28日に次期政権へ権力を移譲する方針を維持していた。しかし、抗議運動が拡大するにつれて、政権の正統性そのものに対する疑問が強まり、国会議員や政党関係者の中からも辞任を求める意見が現れるようになった。 11月15日には、国会議員からメリーノに対して辞任を求める動きが公然化した。国会の公式記録でも、同日には政治危機を収束させるためにメリーノへ辞任を促す議員や党の代表者の動きが確認されている。
2020年11月14日の情勢
2020年11月14日、メリーノ政権に対する抗議運動はさらに激化した。この日の夜にはリマを中心として大規模な抗議が行われ、警察との衝突が発生した。抗議活動の過程でジャック・ブライアン・ピンタード・サンチェスとジョルダン・インティ・ソテロ・カマルゴの2人が死亡した。 2人の死亡はメリーノ政権に対する国民の反発を急速に拡大させる転機となった。国会でも翌日に2人の死者を悼む黙祷が行われ、抗議運動によって生じた政治的・社会的危機が深刻な状態にあることが示された。 11月14日の事態を受け、メリーノ政権を支持していた政治家や閣僚の間でも政権維持に対する懸念が強まり、政府内部からも辞任を求める動きが広がった。これによって、政権は発足からわずか数日で事実上の崩壊過程に入った。
内閣の大量辞任
11月15日、メリーノ政権では閣僚の辞任が相次いだ。アンテロ・フローレス・アラオス首相をはじめとする閣僚の多数が政権から離脱し、内閣は事実上機能を維持することが困難な状況となった。 フローレス・アラオスは同日、政権をめぐる危機を受けて首相職を辞任した。また、複数の閣僚も相次いで辞任を表明した。これにより、発足からわずか数日しか経過していないメリーノ政権の政治的基盤は急速に失われた。 国会でもメリーノ政権の継続が困難になったとの認識が広がり、辞任を求める議員の動きが強まった。最終的にメリーノは同日、大統領職からの辞任を決断することとなった。
大統領辞任
2020年11月15日、メリーノは国民向けの演説を行い、大統領職を辞任すると表明した。メリーノは、政権発足時に掲げていた2021年の総選挙実施と民主的な政権移行を維持することを強調していたが、抗議運動による社会的混乱と政権内部の支持喪失を受け、就任からわずか5日で辞任に至った。 同日、メリーノは共和国議会に対して辞任の意思を正式に伝える文書を提出した。文書では、大統領職を「不可逆的に」辞任する意思を表明しており、国会はこれを審議することとなった。 メリーノの辞任によって、2020年11月10日に始まった同政権は同月15日に終わった。ペルー国会の歴代統治者記録でも、メリーノの大統領在任期間は2020年11月10日から15日までとされている。
国会による辞任受理
2020年11月15日、共和国議会はメリーノの辞任を採決に付し、120票の賛成、1票の反対、棄権0票でこれを受理した。同時に大統領職の空席が宣言された。 同日の国会では、メリーノ自身の辞任だけでなく、国会の議長団を構成していた議員からも辞任が相次いだ。国会の議事録によれば、メリーノは国会議長職を、ルイス・バルデス・ファリアスは第一副議長職を、ギジェルモ・アリアガ・パハレスは第二副議長職を、マリア・テレサ・カブレラ・ベガは第三副議長職を辞任した。 これによって、メリーノを中心として成立していた政治体制は事実上崩壊した。国会は新たな議長団を選出し、憲法上の大統領継承手続きを再び適用して政治危機を収束させる必要に迫られた。
フランシスコ・サガスティへの政権移譲
メリーノ辞任後、共和国議会では新たな議長を選出する手続きが進められた。2020年11月16日から17日にかけて議長選出が行われ、フランシスコ・サガスティを首班とする新たな議会運営部が選出された。国会の記録では、サガスティを含む新議長団の名簿が11月16日に提出され、翌17日に選出されたことが記録されている。 サガスティが国会議長に就任したことに伴い、憲法上の大統領継承規定に基づいて同日、大統領職を継承した。これによって、メリーノの5日間にわたる短期政権は終結し、2021年の総選挙と政権移行までを担う新たな暫定政権が成立した。 ペルー国会の歴史資料では、メリーノの辞任は11月15日、サガスティの大統領就任は11月17日として記録されている。メリーノ政権からサガスティ政権への移行は、数日間にわたって続いた2020年の政治危機を収束させ、2021年の総選挙に向けた憲法上の統治体制を再構築する過程となった。
政界引退後
国会議員としての活動終了
2020年11月15日、メリーノは大統領職を辞任し、その辞任は共和国議会によって受理された。これにより、わずか5日間にわたった大統領在任を終えた。メリーノは大統領就任以前には2020年特別選挙でトゥンベス選挙区から国会議員に選出され、同年3月から国会議長を務めていたが、2020年11月に大統領職へ移行した後、そのまま国会議員としての政治生活を終えることとなった。 2021年7月26日に2020年特別選挙で選出された議会の任期が終了すると、メリーノは国会議員としての公職からも退いた。これにより、2001年以降に断続的に続けてきた国政での議員活動はいったん終了した。
その後の政治活動
大統領職と国会議員職を離れた後、メリーノは以前のような公職に復帰することはなく、全国的な政治の第一線から退いた。2020年の政権発足と辞任をめぐっては、その後も政治的・社会的な議論が続いたものの、メリーノ自身が再び大統領職や国会の主要役職に就くことはなかった。 その後のメリーノについては、2020年以前の政治活動に比べて公的な活動に関する記録が少ない。そのため、政界引退後の活動については、国政における継続的な政治指導者として活動したとは位置付けられていない。 2020年の辞任後には、メリーノ政権の成立過程やビスカラ罷免の問題をめぐって国内でさまざまな評価が行われたが、メリーノ自身は元大統領・元国会議長として扱われるようになった。
アクシオン・ポプラルとの関係
メリーノは青年期から一貫して人民行動党(Acción Popular)との関係を持ってきた政治家であり、2020年に大統領へ就任した時点でも同党に所属していた。国会議長就任時の演説では、自身が同党の党員であることを明らかにし、人民行動党がペルーの民主化と制度の安定に役割を果たしてきたとの認識を示していた。 一方、2020年11月の政治危機では、メリーノの大統領就任をめぐって人民行動党内部でも意見の相違が生じた。メリーノの就任直後には同党の議員から政権を支持する発言が出された一方、抗議運動が拡大すると、党所属議員の一部からも辞任を求める動きが現れた。これは、メリーノ個人の政治的立場と党全体の対応が必ずしも一致していなかったことを示している。 メリーノの政界引退後も、人民行動党は彼の政治経歴を構成する重要な要素として残っている。ただし、2020年の政治危機以降、メリーノが党の全国指導部として再び大きな公職を担ったわけではなく、彼の政治家としての経歴は、トゥンベスを基盤とした国会議員、国会議長、そして短期間の大統領という形で締めくくられることとなった。
人物・評価
政治家としての評価
メリーノは、トゥンベスを政治的基盤として長期間にわたって活動した地方出身の政治家であり、人民行動党の党員として地方政治と国政の双方に携わった人物である。2001年から2006年、2011年から2016年、2020年から2021年まで共和国議会議員を務め、2020年には国会議長を経て大統領に就任した。 その政治経歴は、単独で強力な全国的政治基盤を築いた指導者というより、長期間にわたる党活動と国会議員としての経験を背景に、議会内の政治過程で影響力を拡大した政治家として特徴付けられる。2020年3月の国会議長選挙では93票を獲得して議長に選出されており、当時の議会内で一定の支持を得ていたことが示されている。 一方、2020年11月の大統領就任とその後の辞任によって、後世の評価では国会議員としての長期的な活動以上に、5日間の大統領在任と政治危機への対応が強く注目されることとなった。
国会議員としての評価
国会議員としてのメリーノは、トゥンベス選挙区を代表し、農業、灌漑、インフラなど地方の問題を国政の場で取り上げることを重視した。また、国会内では委員会活動や議会運営にも携わり、2011年には第一副議長を務めるなど、議会制度についての経験を積んだ。 2020年の国会でも、メリーノは議長として議会の立法・監督機能を強調した。同年7月には、それまでの通常会期において憲法改正3件を含む複数の案件を成立させたことを議会運営部の成果として挙げ、議会内の合意形成を評価していた。 また、メリーノ自身は国会議長として、政府との対立だけでなく、行政との対話と合意形成を重視すると表明していた。2020年10月には、ビスカラ政権との対話を通じて統治可能性と政治的安定を確保する必要があると主張している。
国会議長としての評価
2020年3月、メリーノは93票を得て共和国議会議長に選出された。新型コロナウイルス感染症の流行と経済危機が同時に発生していた時期であり、国会議長として議会活動を維持するとともに、政府に対する監督を行う役割を担った。 メリーノは就任当初、国会が市民の信頼を回復する必要があると述べ、透明性、責任ある議会運営、効率的な立法を重視する姿勢を示した。 一方、2020年9月のビスカラ大統領に対する最初の罷免手続き、同年11月の二度目の罷免手続きでは、国会議長として政治的に重大な決定を扱う立場となった。とくに後者では、メリーノが議長から大統領へ移行したため、議会による大統領罷免と自身の大統領就任が連続したことが、後の評価に大きな影響を与えることとなった。
大統領就任をめぐる評価
メリーノの大統領就任は、ペルー憲法に定められた継承手続きに基づいて行われた一方、その政治的正統性については強い論争が起こった。2020年11月9日、共和国議会はビスカラ大統領を「恒久的な道徳的無能力」を理由として罷免し、副大統領職が空席だったことから、当時の国会議長であったメリーノが大統領職を継承した。 しかし、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、ビスカラ罷免に利用された「道徳的無能力」という法的根拠には重大な問題があり、罷免の適法性には疑問があると指摘した。また、メリーノの就任直後から大規模な抗議が発生しており、就任が広く受け入れられたものではなかったことを示している。 このため、メリーノの大統領就任は、形式的には憲法上の継承手続きによるものであった一方、実質的な政治的正統性をめぐって国内外で激しい議論を生んだ出来事として評価されている。
5日間の大統領職
メリーノの大統領在任期間は、2020年11月10日から15日までの5日間であった。この極端に短い在任期間は、ペルー共和国の歴代政権の中でも特に短い部類に属し、2020年の政治危機の深刻さを象徴する出来事となった。 メリーノは就任時、2021年4月の総選挙を予定通り実施し、同年7月に次期政権へ平和的に権力を移譲すると表明していた。しかし、政権発足直後から抗議運動が拡大し、わずか数日のうちに政権の政治的基盤が崩壊した。 11月15日、メリーノは大統領職からの辞任を表明し、共和国議会は120票で辞任を受理した。これによって5日間の政権は終了した。
2020年抗議運動との関係
メリーノ政権に対する抗議運動は、主としてビスカラ罷免の正統性と、国会主導による政権交代への反発を背景としていた。11月10日のメリーノ就任直後からリマをはじめとする各地で抗議が行われ、若者を中心とする多数の市民が街頭に集まった。 抗議活動の大部分は平和的であったとされる一方、一部では警察との衝突も発生した。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、2020年11月の抗議活動において200人以上が負傷し、2人の抗議参加者が死亡したとしている。また、警察による過剰な実力行使や恣意的な拘束などを指摘した。 このため、メリーノの評価には、抗議運動そのものだけでなく、政権下で発生した治安部隊による人権侵害の問題が含まれることとなった。
辞任をめぐる評価
メリーノの辞任については、政権を維持することよりも政治危機の収束を優先したものとする見方がある一方、抗議運動と政権内部からの支持喪失によって追い込まれた結果であったとの見方もある。 とくに11月14日に2人の若者が死亡すると、メリーノ政権に対する批判が急速に強まり、閣僚の辞任が相次いだ。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、抗議活動中の警察の行為について調査を行い、その後メリーノ、首相、内相の関与について司法当局による捜査が開始されたと報告している。 メリーノは11月15日に辞任を発表し、国会は120票対1票でこれを受理した。このため辞任は、政権内部の支持を失った状況で政治危機を収束させるための最終的な措置として位置付けられている。
後世の評価
後世のペルー政治史において、メリーノは長期間政権を担った大統領というより、2020年の政治危機を象徴する短命政権の指導者として記憶されている。国会議員、第一副議長、国会議長として長年にわたって活動した経歴を持つ一方、その政治的評価は2020年11月のビスカラ罷免、大統領就任、抗議運動、辞任によって大きく特徴付けられている。 一方で、メリーノ政権をめぐる評価は一様ではない。就任そのものは憲法上の大統領継承手続きに基づいていたという側面があるのに対し、その前提となったビスカラ罷免の法的・政治的正当性については強い批判が存在した。また、抗議運動中の警察活動については人権侵害の疑いが指摘され、メリーノ政権の責任をめぐる捜査も行われた。 このように、メリーノはペルーの現代政治史において、議会政治と大統領権力の対立が極度に先鋭化した時期に国会議長から大統領へ移行し、5日間で政権を失った政治家として位置付けられている。その短期間の政権は、ペルーにおける制度的危機、政治的不信、議会と行政府の対立を象徴する事例として、その後も研究や政治的議論の対象となっている。
関連項目
- マルティン・ビスカラ
- フランシスコ・サガスティ
- ペルーの大統領
- ペルーの大統領の継承順位
- ペルー共和国議会
- 2020年ペルー政治危機
- マルティン・ビスカラに対する第1次罷免手続き
- マルティン・ビスカラに対する第2次罷免手続き
- 2020年ペルー反政府抗議運動
- 人民行動党 (ペルー)
- ペルーの政治
- ペルーの政治史