ママス&パパス
アメリカのフォークグループ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ママス&パパス(英語: The Mamas & the Papas)は、1960年代のアメリカで活躍したフォークロック・グループ。
| ママス&パパス | |
|---|---|
|
| |
| 基本情報 | |
| 出身地 |
|
| ジャンル | |
| 活動期間 | 1965年 - 1971年 |
| レーベル | ダンヒル・レコード |
| 公式サイト | ママス&パパス 公式サイト |
| 旧メンバー |
|
略歴
1960年代初め、キャス・エリオットが所属していたフォークバンド「ビッグ・スリー」と、デニー・ドハーティが所属していたバンド「ハリファックス・スリー」のメンバーが合流し、「マグワンプス」が結成された。マグワンプスはアルバム制作も出来ないまま解散し[注釈 1]、エリオットはカリフォルニア州でジャズ・シンガーとしての活動を始め、ドハーティはジョン・フィリップス(元ジャーニーメン)とミシェル・フィリップスのフィリップス夫妻が所属するフォーク・バンド「ニュー・ジャーニーメン」に参加した。
ニュー・ジャーニーメンはやがてフォークロック・バンドに変換し、カリフォルニア州に活動の場を移した。そこでエリオットを迎えて1965年にママス&パパスを結成。同年11月、「青空を探せ(Go Where You Wanna Go)」でデビュー。12月、フィリップス夫妻によって書かれた「夢のカリフォルニア」を発表。同曲は全米4位の大ヒットとなった。3枚目のシングル「マンデー・マンデー」は1位にまで昇り、ファースト・アルバム『夢のカリフォルニア(If You Can Believe Your Eyes and Ears)』もロング・ヒット。
だが絶頂期の最中にミシェルとドハーティの不倫が発覚し、1966年、彼女はジョンに追い出される形でグループを脱退する。代役にジル・ギブソンが起用されたが、ミシェルはすぐに復帰して、ジョンと寄りを戻した。同年発売のシングル「アイ・ソー・ハー・アゲイン」が全米5位、同曲を収録したセカンド・アルバム『The Mamas & The Papas』も全米4位まで昇った。
1967年2月発売のサード・アルバム『Deliver』が全米2位を記録。同アルバムからは「愛する君に(Dedicated to the One I love)」が全米全英共に2位と大ヒット、「クリーク・アリー」も全米最高5位の記録を収めた。同年6月16日から3日間開催されたモンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。ジョン[注釈 2]はフェスティバルのテーマソング的役割を果たす「花のサンフランシスコ」を書き上げた。同曲はジャーニーメンの同僚だったスコット・マッケンジーのシングルとして発表され、全米4位を記録した[4]。
同年、「朝日をもとめて」「悲しみを幸せに(Glad to Be Unhappy)」などがヒット。しかしジョンとミシェルの夫婦仲には再び亀裂が生じ始めていた。1968年になると、グループは完全に崩壊し、メンバーはソロ活動を始めた。契約上制作しなければならなかった最後のアルバム『People Like Us』は、メンバーが各自で収録した曲をまとめて発売された。
関係者のその後
エリオットはソロ活動で大成功を収めたが、1974年のツアーの最中に心臓発作により死去。
1980年代に入り、1960年代に活躍したバンドが次々に再結成する中、ママス&パパスも女性陣のメンバーを変更した上で再結成し、1994年には初来日を果たした。オリジナル・メンバーはドハーティのみで、ジョンは腰を痛めてツアーから離れていたので代わりにスコット・マッケンジーが参加していた。
フィリップス夫妻の娘チャイナは、ブライアン・ウィルソンの2人娘カーニーとウェンディとの3人でウィルソン・フィリップスを結成、1990年~1993年の活動期間に「ホールド・オン」などの大ヒットを放った。
2001年にジョン・フィリップスが心臓疾患、2007年にドハーティが腎不全により死去した。ミシェル・フィリップスは主に女優として活躍し、『デリンジャー』(1973年)や『バレンチノ』(1976年)などの代表作を持つ。
メンバー
ディスコグラフィ
アルバム
- If You Can Believe Your Eyes and Ears (1966)
- The Mamas & the Papas (1966)
- The Mamas & the Papas Deliver (1967)
- The Papas & the Mamas (1968)
- People Like Us (1971)