パリで生まれた。父親のルネ=アントワーヌ・ウアス(René-Antoine Houasse: c.1645-1710)はフランスの宮廷画家で、シャルル・ルブランの弟子であった。父親から絵を学んだ。1707年に王立絵画彫刻アカデミーの会員に選ばれた。ウアスの入会申請作品は現在トゥール美術館に収蔵されている。
フランス国王ルイ14世とスペイン・ハプスブルク家(アブスブルゴ家)出身の王妃マリー・テレーズの孫で、スペイン王となったフェリペ5世の宮廷で働くことになり、1715年のにフェリペ5世とエリザベッタ・ファルネーゼの結婚式の後にマドリードに移り、「王室画家(Pintor de Cámara del Rey)」の称号を与えられた。後に国王ルイス1世となる王子など王族の肖像画も描いたが、肖像画家としては評価されず、ジャン・ランク(Jean Ranc: 1674-1735)が肖像画家として用いられた。
1727年に病気になり、療養のためフランスに一旦戻った後、再びマドリードで働きだすが、健康状態は悪化を続け、1730年にパリに帰国する途中に、エソンヌ県のアルパジョンで亡くなった。
ウアスがスペインに残した絵画は後のフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)のようなスペインの画家に影響を与えたともされる。