ムスチスラフ2世
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来歴
→「ルーシ内戦 (1146年 - 1154年)」も参照
- 出生年は不明。初出はラヴレンチー年代記の1146年の記事、次いでイパーチー年代記の1147年 - 1148年に登場。当初、ペレヤスラヴリ・ルースキーの公で、1148年に、ユーリー・ドルゴルーキーの子グレプをこの町で撃退した。
- 1151年 父を助けるためにハンガリー軍を率いるが、ユーリー・ドルゴルーキーの同盟者であるハールィチ公ウォロディミルにより打ち敗れられる。
- 1154年までペレヤスラヴリの公。
- 1157年 キーウに座すユーリー・ドルゴルーキーに対し、チェルニーゴフ公と共に軍を向けるが、この時にユーリーはキーウで死去した。
- 1159年 キーウを占領し、自分の叔父スモレンスク公ロスチスラフを大公位につけた。
- 1167年 叔父が死んだ後、ムスチスラフはキーウに招致され、キーウ大公になった。
- 1168年 ポーロヴェツ遠征。
- 1169年 アンドレイ・ボゴリュブスキーのキーウ攻撃にこらえきれず、ヴォロディームィル=ヴォルィーンシクィイに退去する。
- 1170年 再度、短期間だがキーウを占領。同年、ヴォロディームィル=ヴォルィーンシクィイで死去。
