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ツルナ・ゴーラ府主教領

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ツルナ・ゴーラ府主教領(セルビア語: Митрополство Црногорско、ラテン音写: Mitropolstvo Crnogorsko)、またはモンテネグロ主教領(イタリア語: Principato vescovile di Montenegro)は、1696年から1852年まで存在した神権国家である。

1696年-1735年 ダニーロ1世(英語版) (初代)
概要 ツルナ・ゴーラ府主教領 (モンテネグロ主教領), 言語 ...
ツルナ・ゴーラ府主教領
(モンテネグロ主教領)
Митрополство Црногорско (セルビア語)
ツルナ・ゴーラ府主教領(モンテネグロ主教領)の位置
ツルナ・ゴーラ府主教領の位置(1812年)
言語 セルビア語
国教 セルビア正教
首都 ツェティニェ
府主教(vladika)[1]
1696年 - 1735年 ダニーロ1世(英語版) (初代)
1852年 - 1852年 ダニーロ2世(英語版) (最後)
面積
1851 5,475km²
変遷
建国 1696年7月
世俗化 1852年3月13日
先代 次代
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歴史

この府主教領はセルビア正教会のツェティニェ主教がオスマン帝国の支配から脱し、ツェティニェの教区を事実上のロシアの保護領に変換し、府主教(vladika)として支配したものである。 [2] [3] [4]

歴史は、バルカン半島のほとんどを占領していたオスマン帝国との戦いでモンテネグロのいくつかの氏族を連携させたツェティニェの主教であるダニーロから始まる。ダニーロは主教でありながら世俗的統治権を持つ世襲制の主教公(英語版)の地位を確立した。ダニーロの家系であるペトロヴィチ=ニェゴシュ家(英語版)は、ステファン・マリがロシア皇帝ピョートル3世であると称して統治した1767年から1773年までの期間を除き、モンテネグロを支配した。1764年からはヴェネツィア共和国の支援を受けたヨヴァン・ラドニッチ(英語版)がグヴェルナドゥール(英語版)を称してモンテネグロの名目的な支配者となったが、ペトロヴィチ=ニェゴシュ家の支配を崩すことはできなかった。1852年、主教公ダニーロ2世はクニャージ(公)となることを宣言し、モンテネグロは世俗的な公国となった。

モンテネグロ主教公の一覧

ペトロヴィチ=ニェゴシュ家統治時代(前期)

  • ダニーロ1世(英語版)(1696-1735)
  • サヴァ・ペトロヴィチ(英語版)(1735–1781)

ツェティニェ主教

  • アルセニイェ・プラメナツ(英語版)(1781–1784)

ペトロヴィチ=ニェゴシュ家統治時代(後期)

脚注

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