プラハで生まれた。プラハの修道会学校で学んだ後、医学を学んだ。動物学と鉱物学の助手を務めた後、1818年にオロモウツで2年間、働いた後、プラハに戻りプラハ大学で28年間教えた。
鉱物学、化学、動物学、植物学などの分野で、チェコ語の学術用語を作ったことで知られる。プレスルの作った学術用語は後に、Vojtěch Safarikや Alexandr Summer Batek (1874-1944)、Emil Votoček らによって改訂された。
愛国的な活動でも知られ、ヨセフ・ユングマンのチェコ国家復興運動のグループの一人で、メンバーと国立博物館の創設を計画した。1821年にチェコで最初の学術雑誌、「Krok」(「前進」)を創刊した。
弟のカレル・ボジヴォイ・プレスル(Karel Bořivoj Presl)もプラハ大学の植物学教授で、1819年に共著で『チェコの植物』("Flora čechica: indicatis medicinalibus, oeconomicis technologicisque plantis")を出版した。
チェコの植物学会の雑誌、"Preslia"はプレスル兄弟を記念して命名されており、シソ科の属名、Preslia(ハッカ属、mentha のシノニム)に献名されている。