ヨハン・ジギスムント・クッサー
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プレスブルク(現在のスロバキア領ブラチスラヴァ)でプロテスタント教会のカントルの息子として生まれた。1674年に一家はシュトゥットガルトに移住した。その二年後からパリとヴェルサイユで6年間過ごした。その間、ジャン=バティスト・リュリに出会い、フランス様式の音楽を学んだ。その後、バーデン=バーデンとアンスバッハの宮廷楽団で働いた。
1690年からブラウンシュヴァイクの歌劇場の楽長を務めた。ブラウンシュヴァイクではイタリア様式の8つのオペラを作曲した。1694年、台本作家との意見の相違からハンブルクの歌劇場へ移った。しかし1695年末にはハンブルクを離れ、ニュルンベルクとアウクスブルクで活動した。1699年よりヴュルテンベルク公エーバーハルト・ルートヴィヒに仕え、翌年に宮廷楽長に就任した。
1704年にはロンドンに渡り、民間の音楽教師として活動した。1707年からダブリンに移り住み、1711年からトリニティ・カレッジ (ダブリン大学)の楽長となった。
現在では彼の作品は演奏される機会が少ないが、ラインハルト・カイザー、ヨハン・マッテゾン、ゲオルク・フィリップ・テレマン、クリストフ・グラウプナー、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルらのちの世代に影響を与えた。