動物標本作り(Tierpräperators)を仕事とするヨーゼフ・ナッテラー(Joseph Natterer Sr.)の息子に生まれた。オーストリア皇帝 、フランツ1世 がラクセンブルク鷹狩 に訪れたとき、父親の作った地元の鳥や動物、昆虫 の標本を購入し、父親に標本の収集の資金を与えた。これらの標本は1794年にウィーン に持ち帰られ、博物館 に納められた。父親は2人の息子を伴い、かれらに標本つくりの技術を教えた。兄のヨーゼフ・ナッテラーは博物館の最初の学芸員となった。ヨハン・ナッテラーは1802年からウィーンのReal-Akademieなどで科学を学んだ。
1817年にフランツ1世は娘のマリア・レオポルディナ・デ・アウストリア がブラジル皇帝 になるドン・ペドロ・プリメイロ に嫁いだ機会に、ブラジル探検の資金を提供し、ナッテラーは探検隊のメンバーに選ばれた。他のメンバーにはヨハン・バプチスト・フォン・スピックス (Johann Baptist von Spix) とカール・フリードリヒ・フィリップ・フォン・マルティウス (Carl Friedrich Philipp von Martius)らがいた。ナッテラーは南アメリカ に18年間滞在し、1835年に多くの標本を携えてウィーンに戻った。標本にはレピドシレン・パラドクサ(Lepidosiren paradoxa:南米の肺魚 )などがありHof-Naturalien-Cabinetに収蔵された。
ナッテラーは旅行記を書くことなく、また彼のノート、日記は1848年のウィーン革命 のホーフブルク宮殿 の火災で失われた。ナッテラーの標本はアウグスト・フォン・ペルツェルン(August von Pelzeln)によって研究され、『ブラジルの鳥類』("Zur Ornithologie Brasiliens, Resultate von Johann Natterers Reisen in den Jahren 1817 bis 1835 ")として出版された。
ナッテラーの60,000の昆虫の標本は火災を免れ、ウィーン自然史博物館 の"Brazilian museum"の一部となっている。