1906年REOラナバウト オールズは1897年、ミシガン州 ランシング にオールズ・モーター・ビークル・カンパニー (Olds Motor Vehicle Company, Inc.)を設立し、四輪自動車 の生産を開始した。これによりオールズモビル が誕生し、この年にはすでに4人乗りの自動車を製造していた。
1899年、オールズ・モーター・ビークル・カンパニーはサミュエル・スミスによって買収され、オールズ・ガソリン・エンジン・ワークス (Olds Gasoline Engine Works)と合併し、オールズ・モーター・ワークス (Olds Motor Works)となった。会社はデトロイト に移転し、スミスが社長、オールズが副社長兼事業部長に就任した。この時期に、アメリカ初の自動車専用工場がデトロイトに建設された。
1901年、オールズは曲線が美しいダッシュボード を持つ「カーブドダッシュ」オールズモビルの生産を開始した。同年、自動車業界で初めてアセンブリーライン(組み立てライン)を利用した大量生産を開始した。この大量生産方式は、ランブラー が2番目、フォード が初期のA型で3番目に導入した。フォードは後にベルトコンベア を用いてこの工程の効率を向上させ、T型フォード の生産へと繋げていく。
1917年REOスピードワゴン
梁瀬自動車株式会社 によるレオ自動車の広告:1929年(昭和 4年)
スミスとの意見の相違から、オールズは1904年にオールズ・モーター・ワークスを離れた。彼はミシガン州 ランシング にR.E.オールズ・モーター・カー・カンパニー (R.E. Olds Motor Car Company)を設立するが、オールズ・モーター・ワークスからの訴訟を恐れ、社名をすぐにREOモーター・カンパニー に変更した。オールズはここで社長として自動車の開発と生産を続けた。
1925年、オールズはREOモーター・カンパニーの会長に就任した。REO社は1936年まで自動車の生産を続けたが、その後はトラックと一部のバス生産に切り替え、1975年まで操業を続けた。REO社は当初、正式な会社名を「REO」とすべて大文字で表記し「アールイーオー」と読んでいたが、後に「Reo」と綴り「レオ」と読むようになった。日本では「レオ自動車」として紹介された。