1999年4月6日、東ティモール独立住民投票に先立つ威嚇と暴力行為の中で、リキシャ教会虐殺事件が発生し、約200人が殺害された。これは、民兵組織ベシ・メラー・プティー(Besi Merah Putih)が、インドネシア軍および警察の支援を受けて、サン・ジョアン・デ・ブリト教会(Igreja de São João de Brito)を襲撃した(犠牲者数についてはインドネシア側と見解の相違がある)。
独立住民投票に向けた混乱の過程で、市内の建物の大半は破壊された。現在残っているのは、ポルトガル統治時代およびインドネシア統治時代の建物の一部のみである。
1999年以降、同市は国際連合東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の下で派遣された国際警察の地区本部となり、またUNTAET犯罪現場班(Crime Scene Detachment)の作戦拠点としても使用された。