リチャード・アークライト (実業家)
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生涯
発明家サー・リチャード・アークライトと1人目の妻ペイシェンス(Patience、旧姓ホルト)の息子として、1755年12月19日にボルトンで生まれた[4]。父の事業を引き継ぐよう育てられ、1783年1月にスタッフォード州ロースターの紡績工場を、同年7月にダービー州ベイクウェルの紡績工場を父から譲り受けた[3]。以降事業経営や買収、売却の繰り返しを経て、1792年に父が死去する頃にはロースターとベイクウェルの紡績工場を一部所有し、ダービー州クロムフォードの紡績工場とマッソン紡績工場も所有した[3]。
父の死後にクロムフォードにあるロック・ハウス(Rock House)に引っ越し、1795年にウィラーズリー・キャッスルが完成するとウィラーズリーに引っ越した[5]。また父の代よりウィラーズリー・キャッスルの敷地内で建設されていたチャペルの工事を進め、1797年にクロムフォードのセント・メアリー教会として完成した[6]。領地管理ではウィラーズリー・キャッスルの地所に35万本の木を植え、ガーデンを一般公開した[3]。温室を設けてパイナップル、メロン、モモを植え、1806年以降はフロスト・グレープも植えた[3]。新しいフロスト・グレープ栽培法を発明した功績により、1822年にロンドン園芸協会から金メダルを授与された[3]。
紡績事業で築いた財産をイギリス国債に投資し、ダービー、スタッフォード、エセックス、ヘレフォード、レスター、ヨーク州で領地を購入した[3]。このように分散投資を行ったことで、紡績事業の収益が変動しても安定した収入を得て[3]、1799年時点で100万ポンドの財産を築き、1823年には200万、1836年には300万まで膨れ上がった[5]。
1801年、ダービーシャー州長官を務めた[7]。政治観は保守派のそれだったが、議会選挙への出馬には辞退した[3]。
1843年4月19日に卒中を起こし、23日にウィラーズリーで死去した[3]。遺体はクロムフォードのセント・メアリー教会に埋葬された[5]。遺産は300万ポンドを超えると概算された[5]。
家族

1780年、メアリー・シンプソン(Mary Simpson、1827年2月24日没、アダム・シンプソンの娘)と結婚[8]、6男5女をもうけた[9]。
- エリザベス(1780年[9] – 1838年1月30日) - 1802年10月27日、フランシス・エドワード・ハート(Francis Edward Hurt、1781年2月11日 – 1854年3月22日、フランシス・ハートの息子)と結婚、子供あり[10]
- リチャード(1781年9月30日 – 1832年3月28日) - 長男。1803年5月22日、マーサ・マリア・ベレスフォード(Martha Maria Beresford、ウィリアム・ベレスフォードの娘)と結婚、子供あり[11]
- ロバート(1783年3月7日 – 1859年8月6日) - フランシス・クロフォード・ケンブル(Frances Crawford Kemble、1849年没、スティーブン・ケンブルの娘)と結婚、子供あり[8]
- ピーター(1784年4月17日 – 1866年9月19日) - 1805年9月2日、メアリー・アン・ハート(Mary Anne Hurt、1872年9月6日没、チャールズ・ハートの娘)と結婚[8]
- ジョン(1785年8月27日 – 1858年2月27日) - 1830年4月13日、サラ・ホスキンス(Sarah Hoskyns、1869年7月19日没、第7代準男爵サー・ハンガーフォード・ホスキンスの娘)と結婚、子供あり[8]
- チャールズ(1786年11月22日 – 1850年12月28日) - メアリー・シットウェル(Mary Sitwell、エドワード・S・シットウェルの娘)と結婚[8]
- メアリー(1788年 – 1803年[9])
- ジョセフ(1791年8月9日 – 1864年2月29日) - 1818年10月19日、アン・ウィグラム(Anne Wigram、1863年5月21日没、初代準男爵サー・ロバート・ウィグラムの娘)と結婚、子供あり[8]
- アン(1794年[9] – 1844年) - 1818年10月28日、サー・ジェームズ・ウィグラム(初代準男爵サー・ロバート・ウィグラムの三男)と結婚、子供あり[12]
- フランシス(1796年 – 1863年[9])
- ハリエット(1798年 – 1815年[9])
子女たちに度々多額の仕送りをした。たとえば、長男リチャードが1803年に結婚したときに3万ポンドを贈り、1805年から1821年まで毎年500ポンドの仕送りをしたほか、1810年以降はノーマントンの地租収入(毎年1,500ポンド程度)もリチャードが受け取った[11]。三男ピーターが1805年に結婚したときに500ポンドを贈り、1807年にピーターの家具購入に3,000ポンドをあげた[13]。1833年には故人のリチャードを除く息子5人にそれぞれ3,000ポンドを贈り、1834年にそれぞれ追加で2,000ポンドを贈った[13]。さらに1838年にはクリスマスプレゼントとして子女それぞれに1万ポンドを贈った[5]。
社交界ではデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュが賭博でこさえた借金を返済するためにアークライトから借金した[5]。
