リヒャルト・フランク
From Wikipedia, the free encyclopedia
ケルンで、作曲家のエドゥアルト・フランクとピアニストのトニー・フランクの間に生まれた。ベルリンのギムナジウムを卒業後、シュテルン音楽院に入学した。フェリックス・メンデルスゾーンの弟子であり、良質な教育の価値を心得ていた父のエドゥアルトによってライプツィヒ音楽院へと送り出され、当時を代表する教員の2人であるカール・ライネッケとザーロモン・ヤーダスゾーンの他、ヴィルヘルム・ルスト、エルンスト・フェルディナント・ヴェンツェル、アルフレート・リヒター (Alfred Richter) に師事した。その後大学に進学して哲学を修め、1880年にスイスのバーゼルでハンス・フーバーが経営する音楽学校の教員となり、次にベルリンのテオドール・クラクの音楽院、続いてマクデブルクで働いた。その後バーゼルへと戻り、教員、指揮者、作曲家として活動。1903年からはカッセルでプロイセン王国の音楽監督を務め、1910年から1938年にはハイデルベルクの音楽院の教授職に就いていた。ハイデルベルクで没した。
同時代の音楽家の中では第一人者にはなれなかったものの、それでも演奏家および作曲家として尊敬を集めていた。彼の保守的な作風はライネッケやフーバーの影響によるものである。彼の作品やピアノ演奏をよく知る批評家らは、彼に対して惜しみない賛辞を送った。例えば、『スイス音楽ジャーナル』(Schweizerische Musikzeitung) 紙には、彼の「ピアノ三重奏曲第1番」作品20に対して以下のような評が掲載された。
力強く、雄大な響きによる勢いは多くの作品、特に(リヒャルト・フランクの)ピアノ三重奏曲 作品20に現れている。この作品は堂々たる重要な作品で、発想は新鮮であり、かつ展開は堅固で揺るぎなく、表現には円熟が感じられる。
フランクは小規模、大規模な作品のいずれも作曲した。作品の多くはピアノ独奏用のものであるが、かなりの数の室内楽曲と、他にも管弦楽曲や声楽曲も遺している。1895年にルツェルンで指揮者のウィレム・メンゲルベルクが初演した序曲 Wellen des Meeres und der Liebe 作品21は大きな成功を収めた。彼の作品の特徴は繊細な旋律線、和声的変化と執拗な対位法の使用にある。古典的な楽曲形式に依拠しつつも、ロマン派から続く近代音楽を思わせる作風である。第一次世界大戦後にはエドヴァルド・グリーグやマックス・レーガーの和声法に興味を示したフランクは、レーガー同様に過去の音楽とみなされるようになった。
長年彼と彼の作品は忘れられていたが、近年[いつ?]では再発見と復活の機運が高まっている。ピアノ三重奏曲、ピアノ四重奏曲と4つのソナタがアウディーテ (Audite) レーベルに録音されており、管弦楽曲選集がスターリング・レコードからリリースされている。2007年のはじめには、室内楽曲の専門家であるR.H.R.シルヴァートラストが創設した、アメリカの室内楽曲専門の楽譜出版社であるエディション・シルヴァートラスト (Edition Silvertrust) が、彼の室内楽曲集シリーズの第1弾として「ピアノ三重奏曲」作品20を刊行した。ライプツィヒのプフェッファーコーン・ムジークフェアラーク (Pfefferkorn Musikverlag) からは決定版の楽譜が出版予定である。