ルイ・エドゥアール・ビューロー
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ナントに生まれる。父親のルイ・マルセラン・ビューローは船主である。兄弟に動物学者 ルイ・マルセラン・ビューロー(1847-1936)や言語学者としても知られるレオン・ジャック・ビューロー(1837-1900)がいる。
1848年からナントで医学を学び始め、1856年にパリで学位を得た。1872年に国立自然史博物館のアドルフ・ブロンニャールの研究室で、菌学者のエドモン・テュラーヌ(Louis René Tulasne、別名 Edmond Tulasne:1815-1885 )の後を継いだ。1874年から分類学の分野の仕事にもついた。アドリアン・ルネ・フランシェ(Adrien Franchet)とともにチベットの植物の研究を行った。
1875年にフランス昆虫学会の設立者の1人となり、何度か会長を務めた。1904年に国立医学アカデミー(l’Académie nationale de médecine)の会員に選ばれた。
アンリ・エルネスト・バイヨンの『植物学事典』("Dictionnaire de botanique")やオーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドールの編集した植物カタログ、『プロドロムス』("Prodromus Systematis Naturalis Regni Vegetabilis")やマルティウス(Carl Friedrich Philipp von Martius)の『ブラジルの植物』("Flora brasiliensis")などに執筆や協力を行った。
ツツジ属(Rhododendron)の種、Rhododendron bureaviiに献名されている。
