ルイ・ダカン
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 1908年5月20日、フランス・パ=ド=カレー県のカレーに生まれる。パリに上京、高等映画学院卒。映画作家となる前にジャーナリストになり、その後ジュリアン・デュヴィヴィエ、アベル・ガンス、ジャン・グレミヨンらの助監督となる。
- 1941年、映画会社パテ社(Pathé)で、処女長編『Nous les gosses(われら若者)』を撮る。
- 1943年に創刊された雑誌『レクラン・フランセ』でジョルジュ・サドゥールらとともに論陣を張り、やがて離脱するアンドレ・バザン、アレクサンドル・アストリュックら「芸術派」に対し、「政治派」とみなされた。
- 1944年8月25日「パリ解放」のための6日間の市民蜂起にフランス映画解放委員会(委員長ピエール・ブランシャール)メンバーとして、ジャン・グレミヨン、ジャック・ベッケル、俳優ピエール・ルノワールらとともに参加。
- 1948年1月、アメリカ映画の氾濫に反対し、ジャック・ベッケル、ジョルジュ・ルーキエ、ジャン・マレー、シモーヌ・シニョレらとともに、マドレーヌ寺院からレピュブリック広場までデモ行進した。
- 1957年、1955年に製作した『Bel-Ami(ベラミ)』が、レッド・パージを背景にした2年間の上映禁止と検閲による大幅カットの末に公開される。
- 1980年10月2日、パリで死去。72歳。