ブエノス・アイレスではやグスターボ・サンタオラヤ等のライブで前座をつとめ、確実にチャンスをものにしていった。1971年から3年連続でブエノス・アイレス・ロックフェスティバルにも出場している。1973年には念願のファースト・アルバム「León Gieco」を発表。翌年にはセカンド・アルバム「La Banda de los Caballos Cansados」を出している。その後いくつかのバンドやグループに参加するものの、観客の注目はヒエコにのみ向けられたため、バンド活動も長続きせずに解散。ソロで活動していくこととなった。
1976年にリリースした「El fantasma de Canterville」(カンタヴィルの幽霊)では、恐怖政治を敷くホルヘ・ラファエル・ビデラ軍事政権を批判する内容があるとして検閲を受け、アルバム中の6曲は歌詞を変更して収録されたが、3曲は完全に削除された。しかし、軍事政権と果敢に対峙したヒエコの姿勢を民衆は歓迎し、レコードはヒット。その後のライブツアーでは、初めてアルゼンチン以外の周辺国でもコンサートを行った。1978年、後にヒエコの代表作となるアルバム「IV」をリリースする。収録曲のひとつ「Sólo le pido a Dios」(ただ神に祈ることは)は、ビデラ政権の「汚い戦争」を批判する反戦歌として民衆の圧倒的支持を得た。しかし、この曲により生命の危険を感じたヒエコは、直後、アメリカロサンゼルスに国外脱出せねばならなかった。