ロマン・ウラジミロヴィチ (ヴォルィーニ公) From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 1117年 - 1119年死去 1119年1月6日配偶者 ペレムィシュリ公ヴォロダリの娘家名 リューリク家ロマン・ウラジミロヴィチРоман Володимирович ヴォルィーニ公在位 1117年 - 1119年 死去 1119年1月6日配偶者 ペレムィシュリ公ヴォロダリの娘家名 リューリク家父親 キエフ大公ウラジーミル2世モノマフ母親 エフィミヤテンプレートを表示 ロマン・ウラジミロヴィチ(ウクライナ語: Роман Володимирович、? - 1119年1月6日)は、キエフ大公ウラジーミル・モノマフとその二度目の妻との間の子である。ヴォルィーニ公(在位:1118年 - 1119年)。 1117年、父のモノマフと、スヴャトポルクの子でヴォルィーニ公の座にあったヤロスラフとの間で紛争が発生した。その原因は、モノマフが息子のムスチスラフをノヴゴロドからキエフ近郊のベルゴロドへ転置したことで、ヤロスラフが自身のキエフ大公継承権に危機感を覚えたためと考えられる。1118年、モノマフはガーリチ・ロスチスラフ家(ru)と連合し、ヤロスラフをウラジーミル・ヴォリンスキー(ヴォルィーニ公国の首都)から追放し、ロマンをヴォルィーニ公に据えた。しかしロマンはその翌年に死去し、ロマンの兄弟のアンドレイが、モノマフのナメストニク(代官)としてヴォルィーニ公に据えられた。 ロマンは1114年9月11日にペレムィシュリ公ヴォロダリの娘と結婚したが、その子孫に関する史料はない。 出典 Ипатьевская летопись Л.Войтович КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ CXIДНОЇ ЄВРОПИ 先代ヤロスラフ ヴォルィーニ公1118年 - 1119年 次代アンドレイ Related Articles